過剰供給が予測される医療・介護職にとってセルフマーケティングが必須のスキルとなる

団塊の世代が後期高齢者となる2025年問題や団塊ジュニアが多死を迎える2050年を見据えて、医療・介護職が大量に輩出されている。

養成校は乱立し、入学定員の増加と偏差値の低下などによって、学校を選ばなければ医療・介護職になることは以前と比較するとハードルは低くなっている。

特に、理学療法士、作業療法士、歯科医師、看護師、薬剤師、医師は既に過剰供給になっている地域もあり、将来的には日本全国で過剰供給となることが予測されている。

政府による医療・介護職を増やすという入口の戦略には成功しているが、過剰供給となった時の出口戦略は未だ見えてこない。

世界や日本に目を向けると政情不安、経済情勢の変化は益々加速するばかりであり、政府による施策も全てが効果的に行えるものではない。

また、少子高齢化が進む世の中では、社会保障費は圧縮されることから、政府は、「大きな政府」より「小さな政府」を目指すため、政府より個人の責任が益々重要視される社会に変化していく。

そのような社会においては、個人のキャリアは、国の施策や経済状況に依存することは危険である。そのため、個人のキャリアは自分自身でデザインしていくことが必要となる。

そのためには、セルフマーケティングの考えが極めて重要となる。

セルフマーケティングとは、「個人」が、自らをメディア化し、自らの力でプロモーションし、取引相手に納得させ、自らの力を購入させることである。

簡単に言うと、自分の能力を社会に購入してもらうためのあらゆる活動となる。
これからの時代は、企業に所属しているか否かは関係なく、必要な活動である。

医療・介護職のほとんどは、国家資格を有している。
しかし、この国家資格を保有していることがボトルネックとなる。
国家資格さえあれば、仕事はいくらでもあるという意識が、セルフマーケティングの意識を遠ざけている。

セルフマーケティングに関しては引き続き、本ブログで掲載をしていく。

改革を必要する組織では、評論家撲滅運動が必要だ

2016年度診療報酬改定が近づいてきた。
リハビリテーション関連分野でも多くの変更点が生まれそうだ。
単位当たりの点数ではなく、より病棟や地域との連携、リハビリテーション対象者の選別などの包括的な取り組みが必要とされており、リハビリテーション部門には変化が求められる。

このような外部変化が激しい時、組織には改革が求められる。
組織を改革するためには、多くの調整事項が必要であり、人間関係にもひびが入ることがある。
しかし、大義はがある限り、組織は変わらなくてはならない。
懸命な経営者や管理職であれば、常に組織の改革を怠らない。

しかし、組織を改革するときにかならず現れるモンスターがいる。
それは・・・評論家である。
タチが悪いのは、評論家の人は「評論すること」が、リーダーシップだと勘違いしていること。

経済状況が良い時代では、「評論家」でもそれなりに意味があったのかもしれない。
しかし、今のような不確実な時代では、物事を具体的に動かしていく人しか、リーダーにはなれない。リーダー自らが、自立と自律を兼ね揃えた「実践家」でなければ、この難局は乗り切れない。

評論家は自らリスクテイクをしないため、非常に低次元の目標設定しか行えない。
そのような人は、改革が必要とされる時には不要であり、組織にとって不良債権である。

評論家の存在は組織の平均的な価値観を劣悪化させていく。
腐ったリンゴであることから、経営者や管理者は、常に評論家を監視し、暴走をさせない仕組みを作らねばならない。

リハビリテーション分野などの医療介護分野はパラダイムシフトのど真ん中である。
常日頃からの評論家撲滅運動が将来の経営や運営の安定を保証することになるだろう。

勤め先の看板が外れても社会で通用する理学療法士・作業療法士・言語聴覚士になっているか?

世の中の95%以上のセラピストは会社に雇用されている。
つまり、自分の能力を勤めている会社に購入してもらい、会社から給与を支払ってもらっている。
では、その能力は自分の勤めている会社以外でも、認めてもらえるだろうか?

日本社会は激変しており、終身雇用の崩壊、企業存続率の低下など労働者を取り巻く環境は一層熾烈を極めている。
理学療法士・作業療法士・言語聴覚士も同様に厳しい環境で働く者が増えており、給与が上がらない、病院が買収された、介護事業所が倒産した、仕事のノルマが厳しいなどの話には枚挙に暇がない。
このような状況において、セラピストはどのように働いていけば良いのだろうか?

エンプロイアビリティという言葉を知っているだろうか?

エンプロイアビリティーには3つの意味がある。

1.所属する組織に雇われ続けるためのエンプロイアビリティ
現在の会社で求められる役割と成果を達成していれば、会社が存続する限り会社に所属することができる。時代変化に応じて会社に必要とされる価値を生み出し続ける能力が必要となる。

2.好条件での転職を可能にするためのエンプロイアビリティ
優れた専門能力を持ち、他の会社でも高い成果をだせるだけの社会に通用する普遍的な能力を持つ人は、好条件で転職や起業をすることができる。

3.やりたい仕事をやり続けるためのエンプロイアビリティ
自分のやりたい分野の能力を確立し、さらにその分野における人脈も形成し、長期間にわたりやりたい仕事を続ける。

これらのエンプロイアビリティを開発していくことが、これからの時代で働くセラピストには重要となってくる。

多くのセラピストは「所属する組織に雇われ続けるためのエンプロイアビリティ」のみを意識しているのではないだろうか?このことすら意識していなければ、論外であり、100%淘汰されるセラピストになる。

確かに、「所属する組織に雇われ続けるためのエンプロイアビリティ」は重要であるが、会社が存続しなくなった時や会社を辞めたくなった時に、このエンプロイアビリティのみだけでは対応できない。

したがって、「好条件での転職を可能にするためのエンプロイアビリティ」と「やりたい仕事をやり続けるためのエンプロイアビリティ」を高めておく必要がある。

わかりやすく言うと、今すぐ会社を辞めても、すぐに働ける場所を確保できるセラピストはこれらのエンプロイアビリティが高いということである。

会社の看板だけで働いていると、自分の看板を作らなくなる。

自分の看板を掲げ、そこに受注が入る仕組みを作ることが、これからのセラピストには求められている。

医療機関や介護事業所にとって無駄な研修は山とある

診療報酬改定、介護報酬改定などの環境変化や事業所収益の低下が生じた時に、必ずと言って、取り沙汰されるものとして、「従業員への教育強化」がある。

接遇が悪いので接遇の教育をしよう
リハビリの質が悪いのでリハビリ部門の研修を強化しよう
介護職員の腰痛が多いので、移乗介助の研修をしよう
などが提案され、外部の研修に参加したり、内部より講師を選び研修が行われる。

研修にはコストがかかる。
外部研修では、参加コストや参加している時間の人件費コスト
内部研修では、会場の電気光熱コスト、講師の人件費コスト、参加者の人件費コスト、講師が研修に費やした時間コストなどが生じる
つまり、研修にコストがかかるということは、本来、研修には費用対効果、時間対効果が求められるということである。

費用対効果、時間対効果を別の表現で現すと、投資活動である。
投資とは「将来の資本を増加させるために、現在の資本を投じる活動」である。
つまり、研修を行うことで明確な資本の増加が必要である。
わかりやすく言うと、研修を行うことで、在院日数が低下する、褥瘡発生率が低下する、職員の離職が低下する、在宅復帰率が増加する、日当円が増加する、再入院率が低下する、稼働率が増加するなどの明確な効果が得られる必要がある。

果たして、多くの医療機関や介護事業所にて、行われている教育研修は資本を増加させているのだろうか?

リハビリテーション部門でよくある研修の形態は以下のものである。
1)セラピストが好きな内容の研修に自由に参加している
2)外部の先生を適当に招致して、研修会を開催している
3)セラピストが自主的に勉強会を開催している
4)研修費を支給して、外部の研修に参加させている
などである。

これらは果たして、医療機関や介護事業所の資本増加に寄与するものであるか?
筆者は多くの研修は無駄であると考えている。
投資効果を得るためには、自社の問題点を明確し、自社の理想と現実のギャップを埋める計画を立案し、その計画を実行するという極めて慎重な活動が必要である。

多くのリハビリテーション部門で行われている上記の研修形態は、計画に基づいた慎重な活動ではないし、自社の問題を中心に置いたものでもない。
多くの研修は理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の個人の価値観やスキルを重視したものである。

セラピストや介護職に不足している技術や知識=自社の課題   にはならない

多くの事業所は研修を行うことが目的となっており、投資という本質的な目的を忘却している。
そのため、投資効果の低い研修ばかりを行っている。

企業がコストをかける以上、それは投資である。
研修は、あくまでも企業価値を上げるために存在しているのである。

「難しい」と「不可能」が混同している職場には未来がない

何か、職場で新しいことに挑戦しようとすると「それは難しいなぁ」、「やってもいいけど難しいと思うよ」という言葉が周囲から出てくる。

そして、その「難しい」という言葉は、いつしか、絶対できない、つまり、「不可能」という言葉に置き換わる。

そもそも、業務改善や組織改革は「難しい」ことである。「易しい」ことであれば、誰でもすぐに取り組める。

「難しい」ことであるから、誰も取り組まなかった。そのために、業務は非効率となり、組織風土も悪くなったのである。

「難しい」を連呼する人は、「難しい」という言葉を数多く並べることで、業務改善や組織改革に関する取り組みが不可能であるという印象操作を狙っている。

賢明な人であるならば、「難しい」という言葉を連呼するのではなく、「難しい」という理由を、様々な要素に分けて分析・解説し、その行動の実現可能性について真摯に検討をするものである。

医療・介護業界は度重なる法改正や社会変化により、月単位で様々な業務改善が必要となっている。

しかし、現実的には業務改善や組織改革の取り組めず、経営の危機に陥っている医療機関や介護事業所が少なくない。

「難しい」と連呼することには意味がない。

「難しい」は「不可能」ではない。

「難しい」からこそ、やる意義があるのだ。

It is difficult,maybe. But, not impossible!!