技術を高めて、患者様から信頼されるセラピストになりたいです!という言葉の軽さはセラピストをダメにする

どんな理学療法士、作業療法士、言語聴覚士になりたい?

と質問すると圧倒的に多い回答は

「技術を高めて、患者様から信頼されるセラピストになりたいです!」

である。

しかし、この言葉の重みを知っている人はほとんどいない。

まず、「技術を高めることで患者様から信頼される」と言うことの目的は何かはっきりしないことが多い。

信頼をされるとどうなるのか?

信頼をされることで何を得たいのか?

が全く見えない。

信頼をされることで得られる対価を定めないと、技術を高め続けるモチベーションは得られない。

信頼は何かの手段であって、目的ではない。

信頼をされるだけでモチベーションが続くという人はいない。

例えば、沢山の患者から信頼されて、仕事が忙しくなるだけの状況にあなたは耐えられるか?

もう一つ、最大の問題がある。

どの範囲の患者から信頼を得たいのか?である。

自分の担当している患者のみに、接遇、チーム医療、リハビリテーションを熱心に行えば一定レベルの信頼は得られるだろう。

しかし、社会全般の患者から信頼されるためには、それ相応の仕組みが必要である。

ここで、信頼と信用について明確に分けて考えてみる。

「信用」
何らかの実績や成果物という業績を残した結果、組織や社会がその業績を評価し、「信用」が生まれる

「信頼」
過去の業績やその人の言動からその人の未来の行動を期待する行為や感情

過去を「信用」し、その「信用」から未来を「信頼」する。

したがって、社会全般の患者から信頼をされるためには、彼らがアクセスすることが出来る業績が必要である。

業績を確認することで、信用が生まれ、その結果、信頼へ発展する。

また、患者には主治医である医師やケアプラン立案の担当者である介護支援専門員などの代理人がいる。

したがって、代理人である彼らの存在も無視できない。

理学療法士、作業療法士、言語聴覚士として患者、医師、介護支援専門員より信頼を勝ち取るためには、彼らがアクセスすることが可能な業績を発信してくことが重要となる。

学会発表、論文発表、セミナー講師を積極的に行うだけでなく、SNSやプレスリリースなどの情報発信も極めて重要である。

技術を高めて、臨床を頑張っていれば、患者より信頼される というのは、幻想と言っても過言ではない。

「信用を残し、信頼を得る」という仕組みを構築できないセラピストには、真の意味で患者からの信頼を得ることはできない。

技術を高めて、患者から信頼されるセラピストになる。

この言葉の意味は相当重い。

 

 

 

 

家や車のローンは組めるのに、自身のキャリアデザインのローンを組めない人が急増中

キャリアデザインにお金は必要である。

これは、厳然たる事実である。

大学院への進学
資格取得のプロセス
治療技術の認定コースを受ける
自身より実力のある人の弟子になる
様々な研究に打ち込む

これらの活動はすべて時間とお金を犠牲にしている。

これらの活動に打ち込む時間に、働くことが出来れば収入が得られるし、ましてや、大学院、認定コース、研修は学費や参加費という現金を失うことになる。

キャリアを磨くためには、大変な金銭的負担を背負わなくてはならない。

しかし、世の中には金銭的な負担を理由にキャリアデザインを躊躇する人がいる。

金銭的な不安があるため、自己投資が出来ないのが理由である。

しかし、そういう人に限って、家や車のローンを組んでいる。

35年間にわたり金銭的負担を背負う家のローンは組めるのに、自分自身のキャリアを磨くためのローンは組めない。

大学院の学費は高くても200万円程度である。

一方、家のローンは利息を含めば、総額3000万円~5000万円である。

仕事で成功している人は、常に自己投資をしている。

自己に惜しみなく時間とお金をつぎ込み、キャリアを常に前進させている。

その結果、社会より高い評価を受け、金銭的な対価を得ている。

家や車のローンとキャリアデザインのローン。

あなたにとってどちらのローンが人生にとって大切だろうか。

自分のキャリアにお金をかける。

そんな発想を持っても良いのではないだろうか?

これからの時代、与えられた労働時間で作業するだけの労働者は、厳しい処遇を受けることになる。

組織や社会にとって、キラーコンテンツになるような働き方をしなければ、社会からの評価は得られない。

そのためには、自己投資が極めて重要な意味を持つ。

 

 

 

どれだけ頭が良くても、どれだけ技術があっても情報を発信しなければ、社会貢献もできないし、所得も上がらない

伝えないことは伝わらない。

こんな頭り前の原理原則を実践できていない人が多い。

どれだけ賢くても、どれだけ技術を持っていても、組織や社会に対して「私は〇〇なことが出来る人間です」、「〇〇の分野で〇〇のような貢献ができます」と情報発信をしなければ、その人は社会や組織から注目されず、活用されることはない。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の人の中には大変熱心に勉強する人がいる。

知識も技術も人並み以上に習得し、しっかりとしたリハビリテーションが提供できている人がいる。

しかし、そのような人に限り、自分からは情報発信をしない傾向がある。

知識や技術は組織や社会に活用されてこそ意義がある。

情報発信をしないことは、自らの能力を社会に還元していないことと同義である。

多くの人は、遠慮と謙虚を混同している。

遠慮は、自己主張すること自体を放棄していること

謙虚は、冷静に自己主張をすること

である。

遠慮することが謙虚なんだと考えている人には、永遠に社会貢献や所得増加の機会は訪れない。

ライフマネジメント視点から考えても、遠慮は百害あって一利なしである。

莫大な時間と金を投資して、習得した知識や技術を利益回収のために役立てないというのは、まさに人生における不良債権が増えていると言える。

知識、技術、認定資格、学位、経験はすべて、手段であって目的ではない。

自らの情報発信で組織や社会を変えていく姿勢を持たなければ、報われない努力という不良債権に振り回された人生になる。

現状維持バイアスによりほとんどのセラピストは過剰供給の波に飲まれていく

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士にとって、後ろ向きな情報と前向きな情報が常にアップデートされている。

社会が後ろ向きな世の中になると、前向きな世の中を実現したい人が前向きな情報を流す傾向がある

そのため、後ろ向き・前向き情報が錯綜し、情報弱者ほど情報に右往左往する。

市場原理で考えると、セラピスト業界には逆風が吹いているのは間違いない。

疾患別リハビリテーションの維持期リハビリテーションの厳格化
回復期リハビリテーション病棟のアウトカム要件強化
地域包括ケア病棟のリハビリテーション料の包括化
軽度者向けサービスの総合事業への移行
など、様々な改革はリハビリテーション費用の圧縮が図られているものであり、セラピストの給与に強く影響するものである。

しかし、このような状況をチャンスと捉えるセラピストも多く、新しい価値を創造し新市場を生み出しているツワモノもいる。

つまり、ピンチはチャンスでもあるということである。

しかし、新市場を生み出し、自身の所得を上げているセラピストは、セラピスト全体においてはかなり希少である。

その他大勢のセラピストは、状況が悪化しているにも関わらず、何も行動を起こすことはしない。

なぜか?

それは、「現状維持バイアス」が作用しているからである。

「現状維持バイアス」とは、現状からの変化を回避する心理現象であり、人は現状に大きな不満がない限り、変化を望まないというものである。

変化することで生じるリスクを、強く恐れる傾向が人間にはあり、リスクを背負うぐらいなら現状を維持する方が良いと考えるのが人間である。

「現状維持バイアス」が作用していると、いつもと同じ日常を繰り返すことの選択を最優先する。

変化のない日々
流れ作業のような仕事
家と勤務先の往復の日々
他人の目を気にして、周囲に迎合する日々

が繰り返されることになる。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士を合わせて20万人の時代。

日本の債務超過はどんどん進み、さらに少子高齢化は伸展する。

このような状況でも、「現状維持バイアス」は協力に発揮され、多くのセラピストの行動の変化は生じない。

しかし、変化することで生じるリスクを恐れ行動をしなければ、将来、現実的に生じるリスクに飲まれる可能性が高い日本社会である。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士として勝ち残るために、必要なのは「ほんの少しの勇気」だけなのかもしれない。

何の変化もない日々を過ごしているセラピストは現状維持バイアスに支配されている可能性が高い。

 

 

臨床実習スーパーバイザーは実習生のキャリア教育を担えているか?

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士のキャリア・デザインは、その重要性を益々増している。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士を合わせて、毎年2万人が誕生し、診療報酬・介護報酬のリハビリテーション関連の単価は厳しさを増している。

このままではセラピストの処遇が悪化していくことは容易に想像できる。

そのため、自分自身の人生をどのようにハンドリングしていくか?自身の仕事をどのように変化させていくか?というキャリア・デザインに関する知識や手法は、これからの時代を生きるセラピストにとっては必須である。

学生が初めて、濃厚に接するセラピストは臨床実習で出会ったスーパーバイザーである。

初めて会った先輩理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は、学生には強い影響力を持つ。

臨床実習では、患者や利用者の評価や治療について学ぶことが多いが、もう一つ大切なことはスーパーバイザーの臨床への姿勢、仕事への取組み、人生観などを学ぶことである。

学生は、今後のセラピストの働き方や生き方の見通し、セラピストの生活設計の在り方、セラピストのキャリア構築の仕方など全く知らない。

そのため、スーパーバイザーより、キャリアや人生に関することを教えてもらうことは大変刺激的なことであり、セラピストしての価値観を醸成する大きな機会となる。

しかし、現在の臨床実習のスーパーバイザーは、学生に対してキャリア教育ができているだろうか?

学生に出来もしないような課題を与える
学生が回答できないような質問をする
自身のほうが賢いことを示すような言動を示す
スーバーバーザーのレベルに達しない指導
などが横行し、学生に対するキャリア教育どころではないことを散見する。

無論、これはスーパーバイザーだけの責任ではない。

臨床実習施設やセラピスト養成校の責任は大きい。

臨床実習施設をやたらめったに増やしてきた養成校
ろくに治療もできないセラピストをスーパーバイザーにしている医療機関や介護事業所

こういった現状もスーパーバイザーの質の低下に拍車をかけている。

スーパーバイザーは、患者や利用者の評価や治療を通じて自身の人生の生き様を見せるような人であるべきである。

小手先のテクニックや浅い知識では、学生の心は動かない。

スーパーバイザーの生き様を感じるようなテクニック・知識・評価・思想に学生は心が揺さぶられ、学習や技術の取得に対してより前向きになれる。

人は、「心底、このような人になりたい」「こんな人に憧れる」という思いに至らなければ、自分自身の人生を変えようとは思わない。

スーパーバイザーは学生にとってまさにロールモデルである。

ロールモデルの質が良ければその学生は必然的に伸びていく。

しかし、どれほどのスーパーバイザーが、学生に生き様を見せることができているだろうか?

スーパーバイザーの学生への影響力は甚大である。

スーパーバイザーをしている人は、ぜひ、学生へのキャリア教育を放棄しないでいただきたい。