理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の国家資格免許証は、「ただの紙切れ」であることを知らないセラピストの末路は悲惨である件

筆者は、仕事柄、全国の津々浦々の理学療法士・作業療法士・言語聴覚士と出会う。

経営コンサルタントとして仕事をしていると、最初に偉そうな態度だったセラピストが、私が理学療法士とわかると、ころっと、態度が変わるということを度々経験する。

これと似た様な話として、以下のようなことも度々経験する。
医師には媚を売っているが、学生にはパワハラなセラピスト
介護士には上から目線で話すが、看護師には意見できないセラピスト
後輩の指導には偉そうに指導するが、目上の先輩とはディスカッションを避けるセラピスト

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士という「資格」に強く依存した生き方をすると、資格の上下関係に敏感になる。

医師は理学療法士より偉いから、意見を言わないでいよう
看護師より介護士のほうが、医療の知識が少ないから少し偉そうにしてみよう
学生は何も知らないから、俺の知識を教えてあげよう

こういった潜在意識を資格への依存度の高い理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は、持っているのではないだろうか?

資格は資格である。

資格以上のものではない。

ある業務を行うためのパスポートであり、パスポートとしての「紙切れ」である。

そんな「紙切れ」に依存して仕事をしているセラピストは、「人としての価値向上」を意識することはない。

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理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の過剰供給からの大幅な賃金カット、有効求人倍率の低下、養成校の閉鎖、他資格との統合が、現実的なものとなった時に、「人としての価値向上」に取り組んでいないセラピストは、一気に凋落する。

「資格はただの紙切れ」であり、その人の価値を示すものではないことを自覚してるセラピストは、自分への価値にこだわる事ができる。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の人数が大幅に増え、資格としてのプレミアが低下していけば行くほど、「人としての価値」に市場が注目するようになる。

資格をもった人間の全員が、「仕事ができる人間」でないことは明確である。

「資格はただの紙切れ」であるという事実を認識することが、これからの時代でも生き残るための出発点となる。