キャリア・ハイを目指すには会社や部門より求められる以上の仕事をする必要がある

今の職場で認められるためには、会社や部門より求められる以上の仕事をする必要がある。

求められている仕事は、お給料をもらうためにしなければならない最低限の義務である。

求められている以上の仕事をして初めて、「仕事ができる人」として認識される。

新しいプロジェクトや組織改革について、率先して理解し、協力する姿勢を持っていれば自ずと、仕事の内容が「最低限の仕事」から「最高点を目指す仕事」に変化していくだろう。

経営環境が厳しい今の医療・介護業界では、有能な人材はすぐに目立つ

有能な人材と認知されれば、あなたが想像している以上に付加価値の高い仕事が舞い込んでくる。

付加価値の高い仕事は、新しい経験や知識を学ぶチャンスでもあり、かつ、処遇も向上する可能性が高い。

介護報酬改定・診療報酬改定により、介護事業所や医療機関では短いスパンで様々なとプロジェクトや新規事業が行われる。

そのような新しい取り組みに対して、傍観者のような態度しかとれない人材は、職場で認められる人材には、決してならない。

傍観者への評価は厳しい。

傍観者は新しいプロジェクトや新規事業に対して行動を起こさずに、批判ばかりを繰り返す「社内評論家」と認識される。

また、傍観者は、自ら建設的な意見をもっておらず、ただ単純に、仕事環境の変化を嫌がっているだけの、「保身者」として認識される。

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環境変化の激しい時代の医療・介護経営において、「評論家」と「保身者」は最も評価されない人材である。

今の時代に働く医師・看護師・理学療法士・作業療法士などの医療従事者にとって、求められる以上の仕事をすることは、キャリア・ハイの必須項目である。

 

医療チームはあるが、チーム医療はない日本の医療機関

日本には医療チームは沢山あるが、チーム医療の実践は乏しい。

これは、医療マネジメントの世界ではよく聞かれる言葉である。

NSTチーム・呼吸ケアチーム・褥瘡対策チーム・感染対策チーム・医療安全チーム・退院調整チームなど・・・・・多くの「チーム」が医療機関には存在している。

医療チームの目的は、チーム医療を行うことである。

しかし、実際は、チームの活動が形骸化しているケースが多い。

医師が参加しない、形だけの集まりで何も決まらない、何らかの活動は行うが、その反省や振り返りはしない、形式的に書類だけを作って情報を共有するだけ・・・・という状況に陥っている。

多くの医療機関の医療チームは、診療報酬上の規定や病院機能評価機構などの第三者評価に従って、設置しているというのが実情であろう。

では、なぜチーム医療の実践が難しいのだろうか?

筆者は2つの大きな問題があると考える。

一つ目の問題は、医局・看護部・リハビリテーション部・薬剤部・検査部・事務部などのパワーバランスが偏在しており、お互いの部門が相互依存の関係になっていないことである。

一般的には、医局・看護部のパワーが強く、リハビリテーション部や検査部などのチーム医療への参画が阻害されているケースが多い。

医局・看護部のパワーが強いことは、裏を返せばリハビリテーション部や検査部が院内での立ち位置を十分に獲得できてないということである。

二つ目の問題は、医師・看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・薬剤師・管理栄養士などの専門職が各専門職間で共有できる知識や経験を持ち合わせていないため、チーム医療遂行のための共通言語が乏しいということである。

各専門職の専門用語や診療に対する思想の違いが、チーム医療を阻害している。

例えば、看護師の考えるリスク管理と理学療法士の考えるリスク管理は思想レベルで異なることが多い。

看護師はより病状の改善に資するリスク管理を目指すが、理学療法士はより廃用症候群を防止するリスク管理を目指す傾向がある。

こういった思想の違いは、お互いの職種間の情報連携を阻害する要因になる。
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以上のことから、
チーム医療を実践するためには、お互いの仕事の内容を知ることが重要であると言える。

病院の在院日数短縮や医療の在宅シフトが進む昨今、各専門職の連携はますます重要となる。

このような時代では、お互いの職種の仕事や知識について理解したハイブリッドな医療・介護従事者が活躍することは間違いない。

PT・OT・STの古典的ロールモデルは、すでに崩壊した

2025年問題が医療・介護業界に様々な風を流している。

ネガティブな風もあれば、ポジティブな風もある。

このような風が吹く中、今日の我が国のセラピスト業界におけるキャリア開発上の大きな問題点として、「ロールモデルの不明瞭」が顕在化している。

皆さんは、現在の
理学療法士のロールモデル
作業療法士のロールモデル
言語聴覚士のロールモデル
をそれぞれ答えることができるだろうか?

20年ぐらい前までなら
卓越したテクニックを持つ技師や養成校の教員がロールモデルとして存在していた。

確かに、当時のロールモデルは、セラピストが憧れる技術や知識を有しており、かつ経済的にも成功していた。

しかし、今はどうだろうか?

誤解を恐れずに言うと、
今の時代、卓越したテクニックを持つ技師や養成校の教員に強い訴求力があるだろうか?

時代は変わった。

社会保障費は圧縮され、セラピストの給料は減り、地域包括ケアシステムが推進される。
養成校は乱立し、学生の偏差値も拡大している。
急性期病床は削減され、慢性期や在宅医療が推進される。
働く人間の価値観も多様化を極め、ダイバーシティーも進んでいる。

これらの変化に伴い、セラピストのロールモデルが不明確になっている。

もはや、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の古典的なロールモデルはもはや崩壊しているといっても過言ではない。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の市場における役割も激変している。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士への期待や市場価値が拡大している。

この拡大は、古典的なロールモデルをより不明確にしている。

ロールモデルが不明瞭な時代では
自分自身の価値観や社会が求める能力を反映したロールモデルに一歩でも近づいていくために、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士が自らのキャリアを自主的に開発していく必要がある。

このような時代では、自主的にキャリア開発を行う価値観やモチベーションがないセラピストは、時代の流れに逆行したロールモデルを追及したり、あるいは、ロールモデルの追求自体を止めてしまい、社会的な価値の低いセラピストになってしまう可能性がある。

2025年問題は、言い換えると、2025年セラピスト問題である。

 

どれだけ知識や技術があっても周囲の認知度が低ければ、永遠にあなたの評価は上がらない

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士がこれからの厳しい雇用情勢の中で生き残って行くためには、セルフ・マーケティングが重要であることは過去の記事でも繰述べさせて頂いた。

過去記事
セルフマーケティングなき医療・介護従事者の未来は明るくない
療法士等医療・介護従事者のセルフマーケティング まずはセルフリサーチから!!

今回は、セルフ・マーケティングにおける「認知度」の重要性を述べる。

多くの理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は自らのリハビリテーション技術を高めるために、様々な自己研鑽に日々励んでいる。

プライベートの時間、大学院やセミナー受講のための費用などの様々なコストを投資をして、知識や経験を高めている。

しかし、世の中は甘くない。

知識や経験を高めれば、周囲からの評価が高まるということは、幻想である。

自分の給料や立場を上げたい、周りから認められたいという承認欲求や自己実現欲求を人間には持っている。すなわち、知識や技術を上げることで、それらの欲求を満たしたいという考えは生理的には正しいものである。

だが、現実的には知識や経験が高まれば、自動的に周囲からの評価が高まることは希である。

では、周囲からの評価を高めるには、どのような要素が必要であるか?

それは社内や社外における自分自身の知識や経験の「認知度」を高めることである。

社内や社外において、「あなたがどういう人材であるか」という認知度が高まって初めて、周囲からあなたへの「期待」が生まれる。

その「期待」に応えることができた時に、一気に周囲からの評価は上がる。

最大のハードルは、「認知度」を上げる行動を行う勇気があるかどうか?である。

多くの人は、この「勇気」がない。

「認知度」を上げるということは、同時に責任が生じる。

すなわち、自身という商品の品質管理が問われるわけである。

多くの理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は確かによく勉強してる。

しかし、よく「認知度」を上げる行動をしているか?というと、甚だ疑問である。

セルフ・マーケティングでは、知識や技術を高めること以外の要素の学習や行動が重要となってくる。

心身機能を軽視して、偏重的に活動・参加を訴えるセラピストが増えたという事実

2015年度介護報酬改定では、リハビリテーション分野において「心身機能」・「活動」・「参加」の重要性が明示され、通所リハビリテーション・訪問リハビリテーションでは「活動」と「参加」に資する取り組みを評価する介護報酬項目が整備された。

活動・参加の概念は、リハビリテーション本来の意義を問いただすものであり、これからの高齢化社会においては益々重要となる。

しかし、筆者はこの一年間感じてきた違和感がある。

心身機能の評価や介入が未熟なセラピストに限り、「活動」「参加」が重要だと異常に訴える事例が散見することである。

自身の理学療法・作業療法・言語聴覚療法が未熟なことで、患者や利用者の基本動作能力・応用的動作能力・言語聴覚機能が回復しないことに気づいていないセラピストは残念ながら存在する。

そういったセラピストが、十分に患者や利用者の心身機能のポテンシャルを引き出してない中で、「活動」と「参加」に傾注することは、患者や利用者にとって迷惑千万な話ではないか?

セラピストと患者・利用者の間には「情報の非対称性」が存在する。

情報の非対称性とは
保有する情報に差がある時に生まれる不均等な情報構造
の事を言う

つまり、患者や利用者はセラピストより心身機能・活動・参加に関する情報を有していないため、セラピストの言いなりになる傾向がある。

セラピストが、「あなたの心身機能はもうプラトーなので、自宅では歩行器を使って歩きましょう」と説明すると、「心身機能がプラトー」であると判断する情報を患者や利用者は有していないため、セラピストの説明に従う可能性が高い。

しかし、心身機能の評価や介入に長けたセラピストがその患者や利用者を診れば、「十分に自立歩行を目指せる」と評価する可能性もある。

「活動」・「参加」はリハビリテーション上の目標であり、人が自分らしく生きていくために必要な概念である。しかし、心身機能の向上の追求なしに、「活動」「参加」という表面的な概念だけを妄信的に追いかけていくことは、リハビリテーションの概念にも反する。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は、他職種と比較して、医学的側面から心身機能を評価できるアドバンテージを有しており、そのアドバンテージを活かして、「活動」・「参加」を客観的に冷静に評価・介入することが最大の強みである。

心身機能の評価・介入を軽視した「活動」・「参加」への妄信的な取り組みは、視野の狭い「活動」・「参加」偏重主義者であり、決して、患者や利用者のQOLの向上には寄与しないだろう。

心身機能・活動・参加
この概念の全ての要素を限りなく追求する事で本来のリハビリテーションが達成できる。
当然、心身機能だけを追求し、活動・参加を無視することはあってはならない。

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リハビリテーションサービスのインフラが整ってきている時代だからこそ
心身機能が評価できて
活動も評価できて
さらに、参加も評価できる
が当たり前にできるセラピストが真に活躍する時代が近づいているのではないだろうか?