医療職・介護職は相場以上の給料が欲しければ自分で勝ち取るしかない

日本では、2040年代まで医療・介護におけるハードとソフト面の整備が国策として推進される。

これからの時代は団塊の世代及び団塊ジュニアが高齢者となり、多死の時代となるため、医療・介護の対策は国を挙げてのプロジェクトとなった。

そのプロジェクトを円滑に推進するために、医療・介護に関わる人材は大量に市場に供給される。しかしながら、社会保障費の圧縮も必要となるため、人材にかかる費用、すなわち人件費を湯水のごとく増加させることはできない。

増加する高齢者にサービスを提供する医療職・介護職を安定的に市場に供給するためには、医療職・介護職がそのサービス提供によって得られる給料を保証し、雇用を守る必要がある。

しかし、先述したように社会保障費圧縮の政策との兼ね合いから、医療職・介護職の給与の保証は非常に難しい問題である。

人件費を無尽蔵に増加させることができない国の財布事情があるため、医療職・介護職の給与は保証されたとしても「生活が可能である必要最低限のレベル」で守られる程度である。

すなわち、これからの時代において、なんの努力もなしに、国や職能団体に頼っていては、右肩上がりに給料や処遇が上がっていくことは不可能である。

むしろ、国や職能団体は生活が可能である必要最低限のレベルを守ってくれていることさえにも感謝しなければならない時代になっていく。
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相場以上の給料が欲しければ、医療職・介護職は「自分の努力で自分を変え、自分の力が他人や組織に役に立ち、そのことにより大きな経済効果が得られる」というプロセスとアウトカムを実行しなければならない。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・看護師・介護福祉士等は国家より資格を付与されている。そのため、国は生活ができる程度の給与保証はしてくれるかもしれない。
しかし、国によるそれ以上の給与保証はありえない。

職場や居酒屋で「給料があがらない」、「自分が評価されない」、「上司が悪いんだ」
「会社が腐っている」とどれだけ愚痴を言っても、給料は一円もあがらない。

 

リハビリテーション分野は幅も広く、奥も深い。それゆえ、セラピストの知性が求められる。

筆者は、仕事柄、多くの病院・診療所・老人保健施設・介護保険事業所等を訪問し、そこで働く医療・介護職と話をすることが多い。

その中で、最近、特に感じることは、同じセラピストであっても、リハビリテーションやセラピストという仕事に対する捉え方が大幅に違うということである。

つまり、セラピストの仕事に対する考え方の標準偏差が拡大していると言える。

多くのセラピストは「セラピストの仕事の概念」について、勤め先の事業内容や日頃の運営方針の影響を強く受けている。

整形外科診療所に勤めるセラピストは、少ない単位で即時的効果を出し、痛みや可動域を改善することが仕事

訪問リハビリテーションに携わるセラピストは、利用者や家族のQOL向上に取り組むことが仕事

大学病院に勤めるセラピストは、最先端医療や知見を用いて、最大限の機能回復に取り組むことが仕事

回復期リハビリテーション病棟に勤めるセラピストは、ADL回復と在宅復帰に必要な条件を整えることが仕事

老人保健施設や有料老人ホームに勤めるセラピストは、個別リハビリではなく、施設職員全員によるリハビリテーションアプローチを考えるのが仕事

療養病棟やターミナルに携わるセラピストの仕事は、終末期リハビリテーションを提供することが仕事

もちろん、そこに勤める全セラピストが同じ考えをもっているわけではない。
しかし、勤め先の業務内容がそのセラピストの「仕事観」に影響を与えていることは間違いないだろう。

リハビリテーションの概念は言うまでもなく、「全人間的復権」である。
しかし、リハビリテーションサービスを生業にしているセラピストが、仕事観に関して様々な考えをもっているのが現状である。

時代は機能分化と地域包括ケアの時代である。
機能は分化するが、地域は包括化せよという二律背反するような哲学が、医療と介護に導入されている。

そのような時代に、セラピストはどのような考えを持って仕事に邁進するべきなのか?

リハビリテーションとは実に幅も広く、かつ、奥も深い。
一言で、「全人間的復権」と言っても、その奥行や幅の広さは、各個人で異なる。

しかし、現在、自分が働く分野の利用者の全人間的復権を支援できるソリューションを提供することは最低限セラピストに求められる仕事である。

また、将来、自分が携わりたい分野における全人間的復権のソリューションを事前に考え、そのスキルを高めておくことは、個人のキャリアデザインにとって重要である。

リハビリテーションとは実に幅が広く、奥も深い。

それ故、セラピスト個人の職業倫理観やキャリアデザインに関する知性が要求される。

 

勤め先の看板が外れても社会で通用する理学療法士・作業療法士・言語聴覚士になっているか?

世の中の95%以上のセラピストは会社に雇用されている。
つまり、自分の能力を勤めている会社に購入してもらい、会社から給与を支払ってもらっている。
では、その能力は自分の勤めている会社以外でも、認めてもらえるだろうか?

日本社会は激変しており、終身雇用の崩壊、企業存続率の低下など労働者を取り巻く環境は一層熾烈を極めている。
理学療法士・作業療法士・言語聴覚士も同様に厳しい環境で働く者が増えており、給与が上がらない、病院が買収された、介護事業所が倒産した、仕事のノルマが厳しいなどの話には枚挙に暇がない。
このような状況において、セラピストはどのように働いていけば良いのだろうか?

エンプロイアビリティという言葉を知っているだろうか?

エンプロイアビリティーには3つの意味がある。

1.所属する組織に雇われ続けるためのエンプロイアビリティ
現在の会社で求められる役割と成果を達成していれば、会社が存続する限り会社に所属することができる。時代変化に応じて会社に必要とされる価値を生み出し続ける能力が必要となる。

2.好条件での転職を可能にするためのエンプロイアビリティ
優れた専門能力を持ち、他の会社でも高い成果をだせるだけの社会に通用する普遍的な能力を持つ人は、好条件で転職や起業をすることができる。

3.やりたい仕事をやり続けるためのエンプロイアビリティ
自分のやりたい分野の能力を確立し、さらにその分野における人脈も形成し、長期間にわたりやりたい仕事を続ける。

これらのエンプロイアビリティを開発していくことが、これからの時代で働くセラピストには重要となってくる。

多くのセラピストは「所属する組織に雇われ続けるためのエンプロイアビリティ」のみを意識しているのではないだろうか?このことすら意識していなければ、論外であり、100%淘汰されるセラピストになる。

確かに、「所属する組織に雇われ続けるためのエンプロイアビリティ」は重要であるが、会社が存続しなくなった時や会社を辞めたくなった時に、このエンプロイアビリティのみだけでは対応できない。

したがって、「好条件での転職を可能にするためのエンプロイアビリティ」と「やりたい仕事をやり続けるためのエンプロイアビリティ」を高めておく必要がある。

わかりやすく言うと、今すぐ会社を辞めても、すぐに働ける場所を確保できるセラピストはこれらのエンプロイアビリティが高いということである。

会社の看板だけで働いていると、自分の看板を作らなくなる。

自分の看板を掲げ、そこに受注が入る仕組みを作ることが、これからのセラピストには求められている。

理想と現実が違うなら、理想を求めて行動を起こせば良い

「理想と現実は違う。だから、その理想を追い求めることは困難だ。」

医療・介護のコンサルティングをしているとこのような趣旨の言葉が経営者や管理職の口から度々飛び出す。

この言葉の真意は、「理想と現実はあまりにもギャップがあるので、そのギャップを埋めることは困難だ。だから、そんなことは諦めたほうが良い」であると推察される。

しかし、よく考えてみて欲しい。いつの世も理想と現実は違う。「その時代に存在する現実に対しての理想」がいつの世も設定される。その理想を追求することが、人間がもつ力であり英知である。

今の世の中は、昔に創造された理想に満ち溢れている。 車、電車、飛行機などの交通インフラ、食糧事情、住宅、学校、医療、介護サービスなど一昔前にはすべて、理想であった。

「理想ばかり語ってはダメだ」とよく聞く。
確かに、理想だけを語り、行動を起こさないのは罪だ。
そんな理想は机上の空論である。
しかし、理想がなければ行動も語れない。

冒頭の「理想と現実は違う。だから、その理想を追い求めることは困難だ。」には、別の意味が含蓄されている。
「何が理想なのかわからないので、理想を語ることができません」
「理想はわかっているのだが、行動を起こすことができない。そうであれば理想は語らない方が体裁が良い」という意味も含んでいる。

昨今の医療・介護事業には常に、理想と現実のギャップがつきまとう。
診療報酬、介護報酬の改定は常に新しい理想を経営者や管理職に突きつける。

もし、経営者や管理職が理想を追い続ける姿勢を失ったらならば、それは医療・介護事業を放棄したものと同じである。

あるべき姿である理想を捨てた経営者や管理職は、名ばかり経営者・管理職である。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士のステークホルダーはなんだ?

ステークホルダー
利害関係者
消費者(顧客)、従業員、株主、債権者、仕入先、得意先、地域社会、行政機関であり、自身との関係の中で、利害が発生する間柄であること。

あらゆる職種にはステークホルダーが存在する
当然、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、医師、看護師、薬剤師・・・・にステークホルダーが存在する。
多くの医療・介護従事者は、利害関係者を患者や利用者と認識している。
これは正しい。
サービスを直接提供する相手である患者や利用者は、サービスの提供に対し対価を支払う関係であることから間違いなく利害関係者である。

しかし、患者や利用者のみが利害関係者であると考えるのは、間違っている。
医療・介護従事者にとって利害関係者は、多様に存在する。
例えば、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士にとって、医師やケアマネージャーは間違いなくステークホルダーである。

医師やケアマネージャーの指示や計画により、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は自らの任務を果たすことが出来る。その任務の成否は、医師やケアマネージャーの任務にも影響を与える。いわゆる一人の患者や利用者の運命に影響を与える共同体として関係である。
したがって、医師やケアマネージャーにとっても、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士はステークホルダーである。

ステークホルダーを考えることができない医療・介護従事者は多い。
特に職人肌の職種ほどステークホルダーに対する視野が狭い。
職人は、自分のこだわりの実現や自分特有の作品に対する指向性が強い。
したがって、ステークホルダーに対する視野が狭い傾向がある。

しかし、今の世の中は、ステークホルダーとの連携や拡大が評価される時代である。
組織や社会の課題を解決することが、より評価される現代では、ステークホルダーを特定し、重要視できない人は、淘汰される可能性が高い。

職人肌の職種の持っている技術・知識は、間違いなく組織課題や社会課題の解決に有用なものである。
職人の持っている能力を組織や社会に還元するためには、ステークホルダーを今一度整理し、そのステークホルダーにどれほど貢献できているのか?を検討する必要がある。

理学療法・作業療法・言語聴覚療法・看護・介護も手段であり、目的ではない。
その目的はステークホルダーと共有している組織や社会課題の解決である。