理学療法士は理学療法屋か?作業療法士は作業療法屋か?言語聴覚士は言語聴覚屋か?

仕事とは社会課題を解決する手段である。
よって、仕事の目的は社会課題の解決である。
理学療法士は理学療法屋ではない
作業療法士は作業療法屋ではない
言語聴覚士は言語聴覚屋ではない
看護師は看護屋ではない
介護福祉士は介護屋ではない

有資格者の仕事は資格がもつ専門性をツールとして社会課題を解決することである

たとえば、理学療法士は理学療法というツールを用いて、社会課題を解決することが理学療法士の仕事の本質である

これはマーケティング領域を決める点において極めて重要な考え方である。
医療・介護従事者は専門職である。したがって、専門分野の知識や経験の習得に関しては、貪欲に取り組む傾向が強い。しかしながら、専門能力を発揮することで、解決しなければならない社会課題への意識は極めて気迫である。
これを「近視眼的マーケティング」と言い、マーケティング上の使命を狭く解釈しすぎており、環境への適応が極めて難しくなっている状況と言える。

社会課題への意識が低い原因は学校教育や卒後教育に、責任の一端がある。国家資格合格や現場でマンパワーとして活動することへの教育や支援ばかりに偏ると、資格を取る目的を見失いがちになってしまう。

診療報酬改定・介護報酬改定は、「社会課題の解決」を目的に設計されている。
地域包括ケアシステム、急性期病床や療養病床の整理、リハビリテーションの社会化・・・・など、多くの社会課題の解決を目的とした制度設計が行われている。

社会課題の解決を目的とした理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護師、介護福祉士は市場で重宝され、淘汰されることはない。
理学療法・作業療法・言語聴覚療法・看護・介護が社会の中に存在し続けるためには、社会課題を解決するツールで有り続ける必要がある。
もし、社会課題の解決になんら寄与しないツールになれば、、市場から淘汰され、資格の価値は下落するだろう。

国家資格は国から付与された厳格な資格である。
したがって、国が抱える社会課題の解決に寄与する働き方をすることは、国家資格取得者に与えられた義務である。

今のまま働き続けて、死ぬ直前に最高の仕事だったと思えるか?

仕事の定義が変質している。

世界、そして日本を取り巻く環境は劇的に変化している。
経済成長の低迷・揺らぐ社会保障・格差拡大・政情不安定・気候変動・エネルギー問題・・・・など多くの社会課題が山積している。

これらの社会課題は安定的な経済成長や社会保障を保証することができないため、企業や労働者は状況に応じた対応ができなければ、危機に陥る。

「与えられた仕事をしているだけで、出世したり、給料が上がったり、年金がもらえたり、退職金が増えたりするコト」は、「非現実的なコト」になった。
給料や処遇を考えるならば、与えられた仕事をこなすという働き方はすでに限界に達していると言える。

つまり、十分に生活をしていけるだけの金銭的な対価を得ることも難しい時代になっている。
これは、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護師などの医療資格をもつ人にとっても深刻な問題である。

では、仕事とは、金銭的な対価を得るためのだけの手段なのか?

仕事とは何か?
この質問に多くの哲学者、経営者、専門家が答えている。
金銭的な対価を得るための仕事、与えられたことをこなすことが仕事、命令に従って作業を行うことが仕事、夢を叶えるのが仕事、やりたいことをすることが仕事、一つのことに打ち込むのが仕事・・・など、仕事に関しては沢山の概念や考え方が存在する。

今のまま働き続けて、死ぬ直前に最高の仕事だったと言えるか?という質問に、「最高の仕事だった」と答えるためには、仕事に対してどのような考えを持つべきであるか?

筆者は「仕事とは常に自分が自分で在り続けられるかという存在意義を確認すること」であると考えている。自分自身の存在意義を常に感じられることができれば、人は自分の価値観を満たすことができ、充実感を覚える。

自分自身で自分の存在感を感じることができれば、それはもはや仕事ではないか?

別の見方をすれば、例え、職を得ていても自分自身の存在感を感じることができないのであれば、それはある意味失業ではないか?

理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護師などの医療資格をもつ人々のどれぐらいの人が自分自身の存在感を感じながら、仕事に取り組んでいるのだろうか?

有資格者になれば給料や処遇が安定しているという動機で、有資格になった人が相当するいることは否めない。

死ぬ直前に「本当に素晴らしい仕事だった!」と思うためには、
「生活を保証するための仕事」と「存在意義を感じることができる仕事」をバランスよく行う「働き方」
すなわち
「ワークシフト」が必要である。

 

 

タイムマネジメントを放棄すると環境の奴隷へ一直線!

タイムマネジメント
それは自分らしく生きるための必須の技術。
日本語に訳せば、時間管理。
しかし、時間は地球上に住む誰にとっても24時間しかない。
したがって、物理的に24時間を減らすことや増やすことは不可能である。

では、タイムマネジメントとは、何をマネジメントすることなのか?
筆者は「自分の行動を管理し、人生や仕事の目標を到達する一連のマネジメント」がタイムマネジメントと定義している。すなわち、自身の行動と人生や仕事の目標の整合性を得ることが、タイムマネジメントである。

したがって、人生や仕事に目標がない人は、タイムマネジメントを行う動機が生じない。タイムマネジメントがなければ、自分自身の人生や仕事が他人や環境に支配されることになる。

高度経済成長や人口増加社会が終焉を迎え、日本は今や世界の最先端先進国になった。
そのため、社会が成熟化し、従来の社会モデルが通用しなくなっている。特に、人生や仕事に関しては、従来のモデルが完全に崩壊し、生き方や働き方に絶対的な正解がない状況である。

このような状況では、自分の生き方や働き方に関して能動的に目標を設定し、日々の行動を管理するタイムマネジメントを実行しなければ、周囲の環境に人生が支配されてしまう。

あなたの職場や周りには、人生や仕事に関して以下のようなことを言う人はいないだろうか?

上司が悪い 部下が悪い 相手が悪い 景気が悪い
会社が悪い 時代が悪い 嫁が悪い 親が悪い

このように周りの環境に責任転嫁をしている人は「環境の奴隷」と言える。
周りが悪いと責任を添加している人は「私の人生は私の周りの人に支配されています」と明言しているようなものである。

人生や仕事を自分でコントロールすためには「環境に逆らうこと」が必要である。
環境に逆らうことが、自分の人生をコントロールすると思っている人は少ない。
今から、明日から、何のために時間を使いますか?
人は「今」しか生きることができません。
「今」を何のために使うかを選択しなければなりません

 

 

 

 

人口減少社会はピンチか。いや、チャンスでしょ。

日本の人口減少が止まらない(図1)。国土交通省の資料によると今から85年後の2100年には最悪3770万人になる可能性がある。これは、今より70%近くの人口が減少することになる。人口減少は、日本経済のみならず、私たちの働き方や価値観に影響を与える。

人口減少図1 国土交通省資料

人口減少は日本だけではなくヨーロッパの各国も、同様の問題を抱えている。
欧米諸国は人口減少対策として、子供が産みやすく育てやすい環境整備を行うことやや積極的に移民を受入れを行っている。

しかし、日本では出産・育児の環境整備は不十分であり、移民政策は行われていない。現在、中東の政情不安や治安悪化などにより多くの移民がヨーロッパ各国、とりわけドイツに入国している。ドイツも日本同様少子高齢化問題を抱えているが、その解決策として積極的に移民を受け入れている側面がある。

また、日本では戸籍制度が少子化の原因になっていると分析する専門家も多い。
戸籍制度では入籍をしなければ、結婚をしたことにならない。日本には、子供を産み、育てる条件として、入籍・結婚が必要であるという社会通念が存在する。しかし、ヨーロッパ各国では事実婚制度があり、入籍をしなくとも結婚したとみなされ、入籍しなくても社会的な制度を差別なく利用することができる。日本は戸籍制度のため、妊娠をしても入籍が高いハードルとなり、出産を諦めるケースも多い。

このように、日本は人口減少への対策が不十分であり、文化的にも政治政策的にも少子化になりやすい国であると言える。

日本は人口減少にともなう経済規模の低下が避けられない状況になる。現役労働者が減少し経済活動を行う人材が物理的に減少する。拍車をかけるように、これから日本人の寿命がさらに延長し、高齢化率が高まっていくと予想されている。
したがって、社会保障を受ける人が増え、社会保障を支える人が激減する状況となっていく。
この状況は、すでに日本の都心以外の地方でも生じており、地方には極端に高齢者が多く、労働者が少ない地域が存在する。それは、まさに50年後に生じる都心の姿でもある。

2025年問題は団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になるため、社会保障費が増加することを懸念するものである。しかし、さらに深刻な問題は団塊ジュニアが後期高齢者になる2050年に生じる。

団塊の世代と団塊ジュニアの世代には明らかな差がある。
1.団塊ジュニアは団塊の世代より人口が多いこと
2.より長寿になる可能性があること
3.さらに社会保障を支える人口が少なくなっていること
4.資産を持つ人間が団塊の世代より少ないことである。
一言で説明をすると、「長寿でありながらも貧困層が非常に多い」という特徴を有しているということになる。

このような状況が未来において生じることがわかっている以上、我々は難局を乗り越えるために具体的な行動を起こして行く必要がある。労働力を維持すること、貧困層の増加を防止すること、社会保障費を抑制するために効率良い医療・介護体制を構築することなどの目的を達成するために、具体的な行動が必要である。

少子化対策や移民政策に関しては、高度な政治判断が必要であり、我々国民は政治参加を通じて、この問題に関して真摯に向き合う必要がある。
ヘルスケアやリハビリテーションに携わる業界が、今までの発想を変え、人口減少社会の負の側面を好転させる事業を行っていくことがこれからはより重要である。
以下にいくつか事例を記載する。

1.高齢者が働く意欲を持ち、労働市場へ参加するための環境作り
高齢者の再就職支援、高齢者が安心して安全に働ける職場環境の整備や身体機能に合わせた仕事内容や作業の調整などを行う。仕事という役割を再獲得することで心身機能の低下を防止することにも繋がり、社会保障費の低減にも寄与する。

2.親の介護が原因となる介護離職を防止する
親が要介護状態になっても、介護者が仕事ができる事業。例えば、小規模多機能のような柔軟性の高いサービスや、有老人人ホームやサービス付き高齢者向け住宅のショートステイの活用、デイサービスの延長利用や企業内デイサービスなどが考えられる。

3.徹底した自立支援リハビリテーション
現在の介護保険制度では、介護保険更新時に20%から30%の人が要介護度が悪化している。つまり、日本の介護保険制度は、介護保険を利用している人の1/3が定常的に心身機能や生活機能が低下する制度であると言っても過言ではない。政府は介護保険にて自立支援サービスが乏しいという危機感から、2017年度までに要支援の人を介護保険から外してより、自治体の財源を用いてより自立支援を促す事業を行うことを決断した。今後はより、徹底した自立支援のあり方を、介護保険業界全体として真摯に考えていく必要がある。

これら以外にも沢山の人口減少社会を乗り切るための事業は多数存在する。医師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・看護師・介護福祉士は自らの専門性の本質を保ちながらも、人口減少社会に対する問題意識を持ち、具体的な行動を起こすことが必要ではないだろうか?

ピンチはチャンス
社会課題のあるところにビジネスチャンスあり

 

 

 

「理念先行」「行動不足」セラピストはこのパラダイムシフトを乗り越えられない

地域包括ケアシステムの構築、急性期病床の削減、介護保険制度の変化、理学療法士の過剰供給に関する新聞報道・・・・。リハビリテーション職種を取り巻く環境の変化は著しい。
これらのことを受けて、本ブログだけでなく様々なセラピストが今後の療法士の働き方や生き方について言及している。数多くのセラピストが自らの働き方や生き方に大きなパラダイムシフトが生じることに気づきだしたと言える。

パラダイムシフトとは、「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化すること 」である。まさに、リハビリテーションを取り巻く環境はパラダイムシフトの真っ只中である。

視点を変えれば、パラダイムシフトに合わせて自らの仕事や生き方を確立することができれば、相当なセラピストとしての充実感を得られる時代になったと言える。セラピストとして、仕事や生き方を確立していくための重要な要素は「理念」と「行動」のバランスである。

多くのセラピストは「理念の罠」にはまり込む。自分の働き方や行き方の「理念」ばかりを考え、素晴らしい理念や行動規範を考え、導き出す。ここまでは良いのだが、それをブログやSNSで披露したり、友人に話すことで満足してしまい、実際の行動は何一つ起こさない。

リハビリテーションやヘルスケア産業にはチャンスが渦巻いている。地域包括ケアシステムの一員として機能すること、高度急性期で活躍できるセラピストになること、高齢労働者の支援サービスを提供すること、二次予防事業に関与できる人材になること、在宅重症患者に対応できる人材になること・・・・・・・・・・など、チャンスに溢れている。

これらのチャンスは、「高承な理念」を振りかざしても、掴むことはできない。「高承な理念」を「具体的な行動」に転換することができた者だけが、チャンスをつかむ。
具体的な行動の方法は沢山ある。情報を持っている人と会う、休みの日を使ってやりたい活動を体験してみる、非常勤で働いてみる、職場で新しい企画を提案してみる、勉強会を開催してみる・・などで、チャンスの芽を掴むことはすぐにでも可能である。チャンスの芽を掴むことができなければ、芽を育てながら、働き方や生き方を確立することは不可能となる。

理念先行・行動不足型セラピストでは、このパラダイムシフトを乗り越えることはできない。