医療や介護のマネジメント初心者が行うべき3つの事柄

高齢化社会の進展により、医療や介護で働く人は増加している。

10年前と比較すると、医療機関や介護事業所の従業員は大幅に増えており、組織マネジメントの必要度は極めて高い。

医療や介護にマネジメントが必要な世の中。

まさに隔世の感である。

筆者は医療や介護に関するコンサルティングを生業にしているため、多くの人から様々な相談を受ける。

その中でもここ最近多いのが、「次の転職先でマネージャー職になるのですがどのような勉強をすれば効果的でしょうか?」「マネジメント初心者で何から手を付けて良いのかわかりません、どうすればよいでしょうか?」という質問である。

これらの質問に対する私の回答は以下のとおりである。

一つ目
まず、転職しようとしている業界の診療報酬・介護報酬等の制度面に関する知識を学習すること。これは、厚生労働省等が発表している資料で十分に学習が可能である。

二つ目
転職しようとしてる業界特有の問題について確認をする。これは、医療・介護専門誌やネット上の記事などで確認することが可能である。

三つ目
転職しようとしている業界で働いている人と知り合いになり、ネットワークを築くことである。セミナーや会合に参加することで、知人を作ることができる。

これら3つのアクションを起こすことで、マネジメントの入り口に立つことができる。

マネジメントに関する能力はこれから医療や介護では、非常に重宝される。

マネジメントなき組織が、市場で優位性を保持したり、地域包括ケアシステムの寄与することは不可能である。

ぜひ、マネジメント初心者は先述した3つのアクションを起こし、マネジメント分野に飛び込んでいただきたい。

執筆者
高木綾一
セミナー講師
株式会社WorkShift 代表取締役
国家資格キャリアコンサルタント
リハビリテーション部門コンサルタント
医療・介護コンサルタント
理学療法士
認定理学療法士(管理・運営)(脳卒中)
呼吸療法認定士
修士(学術)
関西医療大学保健医療学部 助教
関西学院大学大学院 経営戦略研究科

セラピストの労働生産性=一日18単位という愚の骨頂

筆者は様々な医療機関のコンサルティングを行っているが、現場の管理職セラピストから「一日18単位を死守せよ!という上層部からの厳命に対して、現場は疲弊しています」という相談をよく受ける。

多くの医療機関では、「セラピストの生産性は一日18単位」という謎の判断基準が導入されている。

セラピストの生産性は、果たして単位数という価値基準で良いのだろうか?

結論から言うと、単位数はセラピストの生産性を表す指標の一つにしか過ぎない。

もし、セラピストの生産性を単位数のみで判断することになれば、「単位取得至上主義」が現場に生まれることになり、倫理的な問題が多発することは間違いないだろう。

セラピストの仕事の質としては
一単位当たりのリハビリテーションの効果
在院日数の短縮への寄与
統合的ケアへの関与
質の高い在宅復帰支援
多職種連携
一日当たりの取得単位数
などが考えられる。

これらを包括的に評価することで初めて、セラピストの生産性を評価することができる。

単位至上主義に陥ったリハビリテーション部門では、単位の水増し、軽症の人に対する過剰な関わり、家屋評価やカンファレンスを行わないなどのリハビリテーションの本質からほど遠い行為が横行する。

セラピストの労働生産性の評価はイコールリハビリテーションの質の評価である。

18単位でしかセラピストを評価しない職場の企業倫理はもはや崩壊していると言えるだろう。

あなたの職場は大丈夫ですか?

執筆者
高木綾一
セミナー講師
株式会社WorkShift 代表取締役
国家資格キャリアコンサルタント
リハビリテーション部門コンサルタント
医療・介護コンサルタント
理学療法士
認定理学療法士(管理・運営)(脳卒中)
呼吸療法認定士
修士(学術)
関西医療大学保健医療学部 助教
関西学院大学大学院 経営戦略研究科

営業に行け!!!としか言えない経営者が残念な件

訪問リハビリの利用者が増えない
病棟の稼働率が上がらない
通所介護への紹介が少ない
だから・・・・

営業に行ってこい!!!!

という経営者は多い。

しかし、残念ながら、営業に行っても利用者は増えない。

なぜか?

営業の効果が極めて限定的であるからだ。

営業が単体でできることは、せいぜい、「事業所のわずかな認知度の向上」程度である。

しかも、営業は時として諸刃の剣となる

皆さんも、色々な商品やサービスの営業担当者から営業行為を受けたときに不快な気持ちになったことはないだろうか?

実は、営業が成功するための条件として、「信頼」が存在する。

信頼できる人や事業所の営業は、不快にならない。

むしろ、もっと話を聞きたいと思う。

しかし、売り込み臭の漂う信頼のない人からの営業は、極めて不快である。

したがって、営業を行う前に、信頼関係の構築が重要である。

信頼関係は日々のサービスや情報発信により獲得されていくものである。

信頼関係構築のための地道な作業をせずに、営業さえすれば利用者が獲得できると考えている経営者は、とにかく残念な人である。

医療や介護サービスは信頼関係に基づくソーシャルキャピタルである。

ソーシャルキャピタルは信頼関係で機能する資本である。

営業に行く前に質の高いサービスの提供が重要である。

執筆者
高木綾一
セミナー講師
株式会社WorkShift 代表取締役
国家資格キャリアコンサルタント
リハビリテーション部門コンサルタント
医療・介護コンサルタント
理学療法士
認定理学療法士(管理・運営)(脳卒中)
呼吸療法認定士
修士(学術)
関西医療大学保健医療学部 助教
関西学院大学大学院 経営戦略研究科

優秀な人材ばかりだと組織は滅ぶ。人材の組み合わせが組織活性化の鍵。

良い人材を採用しているのに組織が前に進まない

みんな、優秀な人なのに組織がまとまらない

という愚痴は筆者のクライアントの口からよく出てくる。

良い人材、優秀な人の定義は難しいが、一つだけ言えることは良い人材や優秀な人の多い、少ないが組織の活性化を決める訳ではないということだ。

例えば、専門職で、知的能力や分析能力が高く、物事に慎重を進める優秀な人材が多い職場だとしよう。

このような職場だと、診療報酬改定や介護報酬改定のダイナミックな変化が求められるときに、物事を決断して、事業を前に進めにくい傾向がある。

冷静に分析する姿勢は、変化が求められる時節では組織にとってはマイナスな力となりやすい。

しかし、数字やエビデンスの裏付けが必要な医学的な決断が必要な時は、冷静に分析する人物が必要である。

つまり、組織を取り巻く環境に応じた柔軟な運営を実現するためには、多様な能力の人材の組み合わせが必要であると言える。

冷静で分析肌の人
実践主義でイケイケの人
組織をまとめ、情熱にあふれる人
周囲との調和に合わせて物事を進める人
などの人がバランスよく組織に所属していることが組織活性化に結び付く。

医療や介護の面接では、組織活性化まで考えて人材を採用していない。

資格を持っていればよい
一見、優秀な感じがする
などの非常にハードルの低い採用となっている。

医療機関や介護事業所が増加する現代では、組織活性力が持続的な競争優位性を保つ。

あなたの組織は、優秀な人であれば無条件で採用していませんか?

それを繰り返していると、組織活性化がどんどん低下するかもしれない。

執筆者
高木綾一
セミナー講師
株式会社WorkShift 代表取締役
国家資格キャリアコンサルタント
リハビリテーション部門コンサルタント
医療・介護コンサルタント
理学療法士
認定理学療法士(管理・運営)(脳卒中)
呼吸療法認定士
修士(学術)
関西医療大学保健医療学部 助教
関西学院大学大学院 経営戦略研究科

上司や会社の文句を言いまくるが、その職場に居続けるセラピストは不満を言っている自分が大好きである

常に上司や会社の不満を言っているセラピストがいる。

上司は何もわかっていない

経営者はお金のことしか考えていない

俺の技術がわからない上司はだめだ

と不満を言わせたら一流のセラピストがいる。

そして、そのセラピストは後輩に対しては自己顕示欲が強く、俺が一番優秀であると言う態度を示す。

高圧的な態度で後輩を支配し、後輩から常におだてられることで精神的な満足を得ている。

組織に対して不満を言う英雄

部下からはその姿勢をおだてられる

そんな勘違いが屈折した精神的な満足感を生じさせる。

満足感があるものだから、その職場を辞めることはなしない。

でも、会社や上司に対して不満があるから出世してもせいぜい中間管理職が良いところである。

このようなセラピストであってもセラピスト希少時代には生き残ることができた。

しかし、これからはセラピスト過剰供給時代である。

まともな社会性を持たず、自分自身のキャリア・デザインも描くことのできないセラピストは会社からレッドカードを渡される。

逆に、このようなセラピストを雇い続けている医療機関や介護事業所はマネジメントが破綻しており、そこのマネージャーや管理者の職務放棄をしていると言って良いだろう。

職場の不満を言いまくっているが、職場を辞めないセラピストはあなたの周りにいませんか?

もし、いれば、職場の超危険レベルのサインと考えるべきだ。

会社や上司の不満を言って退職なり、上司への上申なり行動する人間の方がまだ評価できる。

職場に居ずわり、不満を言い散らす行動ははっきり言って社会悪である。