家や車のローンは組めるのに、自身のキャリアデザインのローンを組めない人が急増中

キャリアデザインにお金は必要である。

これは、厳然たる事実である。

大学院への進学
資格取得のプロセス
治療技術の認定コースを受ける
自身より実力のある人の弟子になる
様々な研究に打ち込む

これらの活動はすべて時間とお金を犠牲にしている。

これらの活動に打ち込む時間に、働くことが出来れば収入が得られるし、ましてや、大学院、認定コース、研修は学費や参加費という現金を失うことになる。

キャリアを磨くためには、大変な金銭的負担を背負わなくてはならない。

しかし、世の中には金銭的な負担を理由にキャリアデザインを躊躇する人がいる。

金銭的な不安があるため、自己投資が出来ないのが理由である。

しかし、そういう人に限って、家や車のローンを組んでいる。

35年間にわたり金銭的負担を背負う家のローンは組めるのに、自分自身のキャリアを磨くためのローンは組めない。

大学院の学費は高くても200万円程度である。

一方、家のローンは利息を含めば、総額3000万円~5000万円である。

仕事で成功している人は、常に自己投資をしている。

自己に惜しみなく時間とお金をつぎ込み、キャリアを常に前進させている。

その結果、社会より高い評価を受け、金銭的な対価を得ている。

家や車のローンとキャリアデザインのローン。

あなたにとってどちらのローンが人生にとって大切だろうか。

自分のキャリアにお金をかける。

そんな発想を持っても良いのではないだろうか?

これからの時代、与えられた労働時間で作業するだけの労働者は、厳しい処遇を受けることになる。

組織や社会にとって、キラーコンテンツになるような働き方をしなければ、社会からの評価は得られない。

そのためには、自己投資が極めて重要な意味を持つ。

 

 

 

どれだけ頭が良くても、どれだけ技術があっても情報を発信しなければ、社会貢献もできないし、所得も上がらない

伝えないことは伝わらない。

こんな頭り前の原理原則を実践できていない人が多い。

どれだけ賢くても、どれだけ技術を持っていても、組織や社会に対して「私は〇〇なことが出来る人間です」、「〇〇の分野で〇〇のような貢献ができます」と情報発信をしなければ、その人は社会や組織から注目されず、活用されることはない。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の人の中には大変熱心に勉強する人がいる。

知識も技術も人並み以上に習得し、しっかりとしたリハビリテーションが提供できている人がいる。

しかし、そのような人に限り、自分からは情報発信をしない傾向がある。

知識や技術は組織や社会に活用されてこそ意義がある。

情報発信をしないことは、自らの能力を社会に還元していないことと同義である。

多くの人は、遠慮と謙虚を混同している。

遠慮は、自己主張すること自体を放棄していること

謙虚は、冷静に自己主張をすること

である。

遠慮することが謙虚なんだと考えている人には、永遠に社会貢献や所得増加の機会は訪れない。

ライフマネジメント視点から考えても、遠慮は百害あって一利なしである。

莫大な時間と金を投資して、習得した知識や技術を利益回収のために役立てないというのは、まさに人生における不良債権が増えていると言える。

知識、技術、認定資格、学位、経験はすべて、手段であって目的ではない。

自らの情報発信で組織や社会を変えていく姿勢を持たなければ、報われない努力という不良債権に振り回された人生になる。

技術を知らずに制度を語るな
制度を知らずに技術を語るな

地域包括ケアシステムの推進により、医療・介護の機能分化が進んでいる。

高度急性期・急性期・回復期・生活期の4つに大きく分類され、それぞれに大枠の役割が与えられている。

高度急性期から生活期にかけて、患者の状態やニーズは大きく変化する。

言い換えると、求められる理学療法、作業療法、言語聴覚療法、リハビリテーションサービスはそれぞれのフェーズにおいて変わるということである。

高度急性期には高度急性期に適した技術が必要である。

至極当たり前のことである。

しかし、医療や介護マネジメントの現場では、このような当たり前のことが認知されていない。

例えば、急性期病棟に認知症ケア加算が2016年度診療報酬改定で新設されたが、多くの医療機関では、加算の取得に難渋している。

理由は、認知症ケア加算を算定要件である人材配置やケアプロセスの実態がないからである。

つまり、認知症ケアに関する技術が社内に蓄積されていないということである。

また、別の事例では次のようなものが挙げられる。

ある理学療法士が研修会に一生懸命参加して、腰痛や変形性膝関節症のリハビリテーション技術を取得したとする。

しかし、その理学療法士が所属している訪問看護ステーションでは、近年、ターミナルステージの利用者が多く、終末期リハビリテーションの技術が現場では求められている。

これらの二つの事例から言えることは、技術と制度は表裏一体であり、その適合性を常に管理することが医療・介護マネジメントでは極めて重要であるということである。

理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護師、医師は職人である。

職人は自身の価値観が満たせるか、どうかに興味があるが、社会動向や制度変更への情報感度は極めて乏しい。

その職員へのマネジメントを怠っていると、技術と制度のギャップが激しくなり、運営や経営がままならない状態になってくる。

医療・介護のマネジメントに関わる管理職は
技術を知らずに制度を語ってはいけないし
制度を知らずに技術も語ってはいけない。

今一度、社内の技術と自社が用いている制度の適合具合を確認してほしい。

 

 

軽度者へのリハビリテーションの改革は二段階の大改革を経て完了する!!

軽度者に対するリハビリテーションには、とつてもない逆風が吹く。

現在も社会保障費圧縮の一環として、軽度者への医療の在り方は大きく見直されている。

とりわけ、軽度者に対するリハビリテーションは、今後、大改革が予定されている。

大改革は二段階のステップを経て行われる。

第一段階は、要介護被保険者の維持期リハビリテーションの介護保険リハビリテーションへの全面移行である

2018年度診療報酬・介護報酬同時改定にて、維持期リハビリテーションは終了し、算定上限日数を超えた要介護被保険者はすべて、介護保険リハビリテーションへ移行されることが規定路線となっている。

近年の診療報酬改定では、要介護被保険者の一単位当たりの点数は激減しており、採算ベースには程遠い診療点数が設定されてきた。

現在でも、要介護被保険者へのリハビリテーションの制度は死に体であるが、いよいよ、2018年度の改定で終止符が打たれることになる。

大改革の第二弾は、2024年の診療報酬・介護報酬同時改定で行われるのではないかと筆者は予想する。

2024年度の同時改定では、要介護1・2の介護保険リハビリテーションが終了し、全面的に総合事業もしくは民間サービスへの移行が図られると考えられる。

特に、通所介護を利用している要介護1・2の人は、全て総合事業に移行する可能性が高い。

そうなると、現在、リハビリテーション特化型の通所介護は、利用者のほとんどが総合事業へ移行し、経営環境が大変厳しくなると考えられる。

通所リハビリテーションに関しては、心身機能・活動・参加への獲得を目指す一定期間に限り、要介護1・2の方が利用できる制度になるのではないかと推測される。

2024年は、2025年問題に突入する直前の年であり、社会的な機運や世論としても軽度者の社会保障費抑制政策は国民に理解される状況であると考えらえる。

また、混合介護やリハビリテーションサービスの自費に関しては2024年までに一定のルールも完成し、自助サービスの活発化するだろう。

軽度者に対するリハビリテーションの制度は、これから、本丸の改革が始まる。

その時、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士はどのように働き、市場で生き残っていくのか?

今より、真剣に考えるべきである。

 

リハビリテーション部門のトップに職人を配置してはいけない

リハビリテーション部門は、看護部門と比較して圧倒的にマネジメントが作用していない。

看護部門は、看護部長、看護師長を頂点としたヒエラルキーが構築されており、看護サービスだけでなく、ベッドコントロールや施設基準の維持などの経営上の責任を担っている。

それに比べリハビリテーション部門のマネジメントは発展途上である。

リハビリテーション部門は看護部門と比較して、歴史が浅い。

リハビリテーション部門が、本格的に組織として形成されたのは2000年以降である。

それは、回復期リハビリテーション病棟の影響が多きかった。

2000年以降に設立された回復期リハビリテーション病棟を持つ病院は、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の数が多いため、組織的な管理が必要となった。

現在では、セラピストを多く抱える医療法人や介護事業所も珍しくなくなった。

一方、看護部門は、病床数が激増した1960年代から看護部門としての組織化を図っており、日本看護協会においても看護師の管理者教育には従来から力を入れてきた。

今日の看護部長、看護師長の組織マネジメントに対する意識づけは長い歴史の中で培われてきたものである。

しかし、リハビリテーション部門の組織化が不十分であるのは、歴史だけの問題ではない。

「リハビリテーションの技術職が組織のトップをしている」という問題が全国的に蔓延っている。

なぜ、これが問題かというと、職人にはマネジメントが出来ないからだ。

職人には以下の特徴がある。

自分の技術に興味があり、社会が求める技術には興味がない
自分の技術変化には興味があるが、社会変化には興味がない
自分を認める者は自分の師匠であり、経営における利益をアウトカムとしていない

そもそもセラピストという職人集団を組織化をしようとすること自体に大きな無理があると言える。

では、どうするべきか?

それは、セラピストの視点を持つ商人、つまりビジネスマンを育成、採用することである。

商人は、社会が求める技術、社会の変化、組織の利益に興味がある。

根本的に職人とはキャラクターが違う。

リハビリテーション部門のトップが職人である限り、組織の改革は極めて難しい。

診療報酬改定・介護報酬改定・地域包括ケアシステム・地域医療構想・総合事業・テクノロジーなどに、本気で興味を示さない職人のトップは、残念ながら組織にとって有害である。