環境の奴隷・アーチスト化した個人事業主は、これからの医療・介護では困難にぶち当たる

他人や社会より期待されることばかりに基準を合わせて仕事をすると、「環境の奴隷」となってしまう。

環境の奴隷をやり続けると意思の麻痺が起こってくる。

そして、いずれ「環境の奴隷になることが自らの意思」であるかのように錯覚する。

環境の奴隷は、自分自身の心に抑制をかけ、ただ、言われたことだけを淡々とこなす。

言われたことだけをこなすため、業務における工夫や改善には興味を示さない。

よって、作業を提供する者として力は発揮できるが、作業以上の価値を提供できる可能性は乏しい。

また、医療・介護従事者は環境の奴隷になっている人も多いが、アーチスト化した個人事業主も多い。

アーチスト化した個人事業主は組織になじめない。

自分が好きなことにしか興味がないからだ。

好きなことはしても良いが、誰からも必要とされない好きなことには価値が生じない。

自分のやりたいことにしか興味がない人は、今求められているチーム医療、地域包括ケア、医介連携などに興味を示さない(もっとも、対応できないだろうが)。

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よって、好きなことが他人や社会から必要とされることであるかどうか?というマーケット感覚がなければ、変革の時代を迎えている医療介護の世界では、価値を提供することは難しい。

環境の奴隷、アーチスト化した個人事業主は、医療・介護業界では蔓延っている。

人材として価値を提供できるか、否かというマーケット感覚の欠如は、これからの医療・介護の人材市場では大きなマイナス要素である。

 

 

 

 

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