今こそ、理学療法士・作業療法士は専門性を活かしたフロンティアスピリッツを持つべきだ

第1回 理学療法士・作業療法士需給分科会が2016年4月22日に開催された。

一般社団法人日本作業療法士協会と公益社団法人日本理学療法士会から、「作業療法士・理学療法士に関する現状」に関する資料の配布と説明が行われた。

説明においては作業療法士・理学療法士の養成校、人数、組織加入率、国家試験合格率などが報告された。

その中でも、作業療法士・理学療法士の業務に関する内容は興味深いものである(図1・図2)。

 ot図1 作業療法士の業務

 pt図2 理学療法士の疾患、障害、領域等からみた関わり

作用療法士の業務内容の対象は、「からだの障害」・「こころの障害」・「生活行為の障害」となっている。

理学療法士の業務内容の対象は、「脳血管疾患」・「運動器疾患」・「呼吸器疾患」・「脊髄損傷」・「心疾患」・「地域住民・虚弱高齢者」・「スポーツ」・「産業保健」・「特別支援学校」・「学校保健」となっている。

この図からは、作業療法士より理学療法士の方が、業務の対象範囲を広く捉えている。

理学療法士の人数が作業療法士より2倍近く多いことから、公益社団法人日本理学療法士協会の新しいマーケットの開拓への強い意識が感じられる。

しかし、産業保健、学校保健、特別支援学校などの領域は、理学療法士の業務として確立・成熟しておらず、サービス向上の余地はかなり残されている。

また、地域住民・虚弱高齢者への関わりは、今のところ行政が主体の「総合事業」が多く、民間企業によるサービスの発展も期待される。

作業療法士・理学療法士の過剰供給が懸念されている中、作業療法士・理学療法士の新たな活動の場を創出することは極めて重要である。

今後、作業療法士・理学療法士の価値を向上し、雇用を守っていくためには、一般社団法人作業療法士会や公益社団法人理学療法士会だけなく、現場で働く作業療法士、理学療法士が自らの市場を開拓していく努力が必要である。

既存の市場においても、まだまだ作業療法士・理学療法士が活躍できる場はあり、潜在市場に目を向ければさらに可能性はある。

その可能性を感じる最前線にいるのは現場の作業療法士・理学療法士である。

作業療法士・理学療法士のほとんどが公的保険を取り合う事業所で働いているため、保険外事業や新しいビジネスの創出には興味がないのが現状である。

しかし、新たな社会貢献やビジネスのヒントは最前線の現場にしかない。

今こそ、理学療法士・作業療法士は専門性を活かしたフロンティアスピリッツを持つべきである。

 

 

 

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の国家資格免許証は、「ただの紙切れ」であることを知らないセラピストの末路は悲惨である件

筆者は、仕事柄、全国の津々浦々の理学療法士・作業療法士・言語聴覚士と出会う。

経営コンサルタントとして仕事をしていると、最初に偉そうな態度だったセラピストが、私が理学療法士とわかると、ころっと、態度が変わるということを度々経験する。

これと似た様な話として、以下のようなことも度々経験する。
医師には媚を売っているが、学生にはパワハラなセラピスト
介護士には上から目線で話すが、看護師には意見できないセラピスト
後輩の指導には偉そうに指導するが、目上の先輩とはディスカッションを避けるセラピスト

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士という「資格」に強く依存した生き方をすると、資格の上下関係に敏感になる。

医師は理学療法士より偉いから、意見を言わないでいよう
看護師より介護士のほうが、医療の知識が少ないから少し偉そうにしてみよう
学生は何も知らないから、俺の知識を教えてあげよう

こういった潜在意識を資格への依存度の高い理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は、持っているのではないだろうか?

資格は資格である。

資格以上のものではない。

ある業務を行うためのパスポートであり、パスポートとしての「紙切れ」である。

そんな「紙切れ」に依存して仕事をしているセラピストは、「人としての価値向上」を意識することはない。

4d50a704

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の過剰供給からの大幅な賃金カット、有効求人倍率の低下、養成校の閉鎖、他資格との統合が、現実的なものとなった時に、「人としての価値向上」に取り組んでいないセラピストは、一気に凋落する。

「資格はただの紙切れ」であり、その人の価値を示すものではないことを自覚してるセラピストは、自分への価値にこだわる事ができる。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の人数が大幅に増え、資格としてのプレミアが低下していけば行くほど、「人としての価値」に市場が注目するようになる。

資格をもった人間の全員が、「仕事ができる人間」でないことは明確である。

「資格はただの紙切れ」であるという事実を認識することが、これからの時代でも生き残るための出発点となる。

「金の切れ目が縁の切れ目」であるならば、「金の動きが縁の始まり」である。

「金の切れ目が縁の切れ目」
金があるうちは、ちやほやされたり慕われたりするが、金が尽きれば掌を返すように冷たくなり、関係が切れることをいう。

日本では、この言葉は「お金だけで結ばれた関係は希薄であるから、そういった関係はできるだけ避けるべきである」という意味で使われる。

「お金は悪いものである」という考え方が日本には蔓延っている。

しかし、実社会では「お金の動きから縁が始まる」ことが多く、「縁」を作る方法として「お金を動かす」ということは有効な方法である。

ビジネスの世界では、市場に貢献度の高い商品やサービスをリリースして、実際にお金を動かすことができなければ、その企業やビジネスパーソンは死んでしまう。

お金を動かすことができなければ、誰も協力してくれないのがビジネスの世界である。

当然、縁を結ぶためには「信頼」が重要である。

信頼がない人物との縁は続かないし、リスクが高い。

bbb439482afccce150aa525c2e34c10e_s

しかし、その信頼はお金を動かしていくプロセスの中で醸成されていく。

特に、最近知り合った人に、いきなり信頼を求めるのは難しい。

しかし、実際にお金が動くという事柄を通じて、「信頼」を確認することができる。

お金が動く事柄において信頼できる人物は、「本当に信頼できる人物」とも考えることができる。

お金が動く事柄とは
お金を支払いサービスを受注する
共同出資して事業を行う
事業を通じて得た収入を分け合う
仕事を紹介しあう
などである。

起業家やビジネスパーソンは、「お金を動かす」ことができなければ死に体である。

「お金を動かす」ためには、信頼できるパートナーや仲間が必要である。

「お金を動かしていく」だからこそ、信頼できる仲間も現れる。

信頼できるビジネスパートナーや仲間は人生の資産である。

だからこそ、パートナーや仲間づくりは手をついてはいけない。

 

 

 

あなたは労働時間を提供しているのか?それとも労働価値を提供しているのか?

日本の労働者は、厳しい局面を迎えている。

ワークライフバランスを政府は進めているものの、下流老人、長時間労働、貧困ビジネス、過労死、サービス残業など労働者の環境は厳しい状況が続いている。

日本は和を大切にする国であるため、会社は労働者を守り、労働者は会社を守るという相互依存の関係が昔より続いていた。

しかし、長期にわたる不況や社会保障費による財政圧迫により、企業は労働者を守ることより、収益を上げることを優先させる傾向が強くなった。

2000年代に入ってから、この傾向は著明となり多くの企業が労働者の好待遇を止め、労働生産性の向上を図るという政策へ舵を切った。

経済情勢が悪くなると、企業は経営状態を維持、向上させるために短期間の利益確保、内部留保の確保に傾倒する。

そのため、従業員や現場への労働負荷が増える割には、賃金が上がりにくいという状況が生まれる。

つまり、日本の経済情勢が根本的に好転しない限り、今の労働者の状況は簡単には変化しない。

よって、労働者が与えられた仕事を沢山こなしたとしても、報われにくい社会になっていると言える。

097559

しかし、一方で多くの労働者は、企業に所属し、労働時間を提供することで賃金をもらっている。

労働者は「賃金をもらうこと」が第一の目的であるから、企業に「労働時間」を提供して働いている。

しかし、賃金を得るための方法は「労働時間の提供」だけなのか?

賃金を得る方法は労働時間の提供以外にも多々存在する。

しかし、多くの人は労働時間の提供しか行っていない。

まさに、現代に働く労働者の問題点はここにある。

賃金を得るもう一つの方法は、「労働価値」を提供することである。

すなわち、労働を通じて提供した価値の多寡により、賃金を得るということである。

このような考え方を持っている医療・介護職は非常に少ない。

9時から17時まで働いて、帰る。という働き方のスタイルでは到底、「労働価値」という考え方には及ばない。

この「労働価値」のメリットは、賃金が上昇する可能性を高くするだけでなく、自分自身の得意分野や好奇心の強い分野で仕事を行うことができることである。

「労働価値」で賃金を得る方法を獲得すれば、 労働環境が熾烈な企業で働く必要性がなくなる。

精神的にも会社に依存せず、自由になることができる。

また、賃金を支払ってくれる対象も、所属している企業から社会にある企業に変化する。

医療・介護職は、労働価値を提供するという概念に乏しい職業である。

なぜならば、医療保険・介護保険という公定価格に守られて、必要最低限の作業をしていれば賃金がもらえる環境が整っているからである。

しかし、そんな職場は間違いなく企業の論理に支配される。

「労働時間」の提供から、「労働価値」の提供へのWork Shiftが求められているが、そのことに気付いている人は少数派である。

働き方に対する個人の価値観が試されている時代に突入している。

 

仕事においては、能力の低い人が能力の高い人を支えている

仕事においては、能力の高い人は、能力の低い人に支えられている。

だから、能力の低い人が多いほうが、能力の高い人にとっては都合がよい。

これは、残酷な話に聞こえるが事実である。

セラピストの分野においても、このことは適応できる。

認知症対応について、能力の低い人が多いから能力の高い人が評価される
動作分析について、能力の低い人が多いからの能力の高い人が評価される
マネジメントについて、能力の低い人が多いから能力の高い人が評価される
呼吸循環器について、能力の低い人が多いから能力の高い人が評価される
地域支援事業について、能力の低い人が多いから能力の高い人が評価される

逆に言うと、能力が低い人が少ない分野で評価される人になることはハードルが高いと言える。

5124ca45731c876a3196f1c2c90e5086_s

自身の勤め先や社会を見たときに
能力が低い人が多いなぁ、誰も取り組んでいないなぁ、セラピストが取り組むべきだなぁという分野があれば、その分野で「ほんの少し」だけがんばれば、評価は高くなり易い。

職場にいると、能力の低い人に対して「イライラ」することが多い。

しかし、能力が低い人がいることは、市場原理からいうとそこに大きなチャンスが存在しているということである。

競争能力が高い人材が多い業界はレッドオーシャンへまっしぐらである。

では、果たして、セラピスト業界は競争能力の高い人が8割以上を占めているか?

否である。

まだまだ、セラピスト業界にはチャンスがある。

能力の低い人がいる事実を正面から認めて、実直にキャリアデザインに取り組むべきである。