あなたは労働時間を提供しているのか?それとも労働価値を提供しているのか?

日本の労働者は、厳しい局面を迎えている。

ワークライフバランスを政府は進めているものの、下流老人、長時間労働、貧困ビジネス、過労死、サービス残業など労働者の環境は厳しい状況が続いている。

日本は和を大切にする国であるため、会社は労働者を守り、労働者は会社を守るという相互依存の関係が昔より続いていた。

しかし、長期にわたる不況や社会保障費による財政圧迫により、企業は労働者を守ることより、収益を上げることを優先させる傾向が強くなった。

2000年代に入ってから、この傾向は著明となり多くの企業が労働者の好待遇を止め、労働生産性の向上を図るという政策へ舵を切った。

経済情勢が悪くなると、企業は経営状態を維持、向上させるために短期間の利益確保、内部留保の確保に傾倒する。

そのため、従業員や現場への労働負荷が増える割には、賃金が上がりにくいという状況が生まれる。

つまり、日本の経済情勢が根本的に好転しない限り、今の労働者の状況は簡単には変化しない。

よって、労働者が与えられた仕事を沢山こなしたとしても、報われにくい社会になっていると言える。

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しかし、一方で多くの労働者は、企業に所属し、労働時間を提供することで賃金をもらっている。

労働者は「賃金をもらうこと」が第一の目的であるから、企業に「労働時間」を提供して働いている。

しかし、賃金を得るための方法は「労働時間の提供」だけなのか?

賃金を得る方法は労働時間の提供以外にも多々存在する。

しかし、多くの人は労働時間の提供しか行っていない。

まさに、現代に働く労働者の問題点はここにある。

賃金を得るもう一つの方法は、「労働価値」を提供することである。

すなわち、労働を通じて提供した価値の多寡により、賃金を得るということである。

このような考え方を持っている医療・介護職は非常に少ない。

9時から17時まで働いて、帰る。という働き方のスタイルでは到底、「労働価値」という考え方には及ばない。

この「労働価値」のメリットは、賃金が上昇する可能性を高くするだけでなく、自分自身の得意分野や好奇心の強い分野で仕事を行うことができることである。

「労働価値」で賃金を得る方法を獲得すれば、 労働環境が熾烈な企業で働く必要性がなくなる。

精神的にも会社に依存せず、自由になることができる。

また、賃金を支払ってくれる対象も、所属している企業から社会にある企業に変化する。

医療・介護職は、労働価値を提供するという概念に乏しい職業である。

なぜならば、医療保険・介護保険という公定価格に守られて、必要最低限の作業をしていれば賃金がもらえる環境が整っているからである。

しかし、そんな職場は間違いなく企業の論理に支配される。

「労働時間」の提供から、「労働価値」の提供へのWork Shiftが求められているが、そのことに気付いている人は少数派である。

働き方に対する個人の価値観が試されている時代に突入している。

 

仕事においては、能力の低い人が能力の高い人を支えている

仕事においては、能力の高い人は、能力の低い人に支えられている。

だから、能力の低い人が多いほうが、能力の高い人にとっては都合がよい。

これは、残酷な話に聞こえるが事実である。

セラピストの分野においても、このことは適応できる。

認知症対応について、能力の低い人が多いから能力の高い人が評価される
動作分析について、能力の低い人が多いからの能力の高い人が評価される
マネジメントについて、能力の低い人が多いから能力の高い人が評価される
呼吸循環器について、能力の低い人が多いから能力の高い人が評価される
地域支援事業について、能力の低い人が多いから能力の高い人が評価される

逆に言うと、能力が低い人が少ない分野で評価される人になることはハードルが高いと言える。

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自身の勤め先や社会を見たときに
能力が低い人が多いなぁ、誰も取り組んでいないなぁ、セラピストが取り組むべきだなぁという分野があれば、その分野で「ほんの少し」だけがんばれば、評価は高くなり易い。

職場にいると、能力の低い人に対して「イライラ」することが多い。

しかし、能力が低い人がいることは、市場原理からいうとそこに大きなチャンスが存在しているということである。

競争能力が高い人材が多い業界はレッドオーシャンへまっしぐらである。

では、果たして、セラピスト業界は競争能力の高い人が8割以上を占めているか?

否である。

まだまだ、セラピスト業界にはチャンスがある。

能力の低い人がいる事実を正面から認めて、実直にキャリアデザインに取り組むべきである。

多くのPT・OT・STが罹患している「努力すれば報われる症候群」

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士はまじめな人が多い。

患者さんのためにストイックに勉強する。

毎月、様々な参考書を購入する。

学会発表に熱心に取り組む。

もちろん、20万人近くいる理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の中には、何の危機意識もなく、何の努力もせずにテキトーに仕事をしている人も多い。

しかし、一方でかなりまじめな人も多く、「本当によく頑張っているなぁ」と感心するセラピストも多い。

だが、努力しているセラピストほど、罹患している陥りやすい症候群がある。

それは、「努力すれば報われる症候群」である。

努力していれば、いつか給料が上がる
努力していれば、いつか上司に認められる
努力していれば、いつか良い職場に行くことができる
努力していれば、なんとかなる

という思考に陥っているセラピストが多い。

しかし、努力すれば成功するという法則はない。

もし、努力すれば成功するのであれば日本人は成功者に溢れている。

成功するためには、「努力」と「運」が必要である。

「運」がなければ、どれほど努力しても、努力したという充実感だけが残り、実利は何も得られない。

では、「運」とは何か?

「運」とは、自分を成功に導いてくれる可能性のある出来事や人物との遭遇である。

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努力をして自分のスペックを高いレベルに仕上げた者が、自分を成功のステージに導いてくれる機会を得た時に、初めて成功の可能性をつかむのである。

成功の可能性は、自分を成功のステージに導いてくれる機会の数に正比例して高くなっていく。

すなわち、自分一人で地道に努力をしていても成功はしない。

成功のための言動や方法論は、決して誰も教えてくれない。

成功している理学療法士・作業療法士・言語聴覚士ですら教えてくれない。

なぜかというと、社会や会社はあなたに成功をしてほしくないからである。

社会や会社は、本当に大切なことは教えてくれない。

一生懸命に努力をしても報われていないセラピストは、今すぐに自分を成功に導いてくれる可能性のある出来事や人物との出会いの頻度を高めることをお勧めする。

 

マニュアル本に記載さている知識を軽視しているセラピストは療法もどきしか展開できない

臨床において最も重要な能力は「想像力」である。

なぜ、こんな現象が起きているのだろうか?
このような事をしたら、どうなるのだろうか?
この現象の原因はここではないだろうか?

常に仮説を立てて、その仮説が正しいかどうかの検証を繰り返す能力が臨床では求められる。

そして、「想像力」の源泉は、「基礎的な能力」である。

さらに、基礎的な能力は 「知識」×「経験」 により開発される。

言い換えれば、いくら経験があっても知識がなければ基礎的な能力は開発されない。

教科書や参考書に記載されている知識というのは、全くの素人を短時間で一定レベルの専門家にする代物である。

知識というのは、知っているか、知っていないかという両極端な性質を持つ。

したがって、知識がなければ、いくら想像したところで仮説は生まれてこない。

その知識を臨床の中で試行錯誤しながら用いることで、様々な仮説検証を展開できる。

よって、いくら経験があっても、知識がなければ仮説検証ができず、「理学療法もどき」「作業療法もどき」「言語聴覚療法もどき」しか展開できないことになる。

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今の時代、マニュアル教育が軽視されている。

マニュアルを知っていても、実践では使えないと平気で言う管理職さえもいる。

しかし、マニュアルに書かれていることさえも理解できずにどうやって臨床を展開できるだろうか?

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士にとって、解剖学、病理学、運動学、生理学などのテキストは重要なマニュアルである。

マニュアルさえも理解できずに、難しい手技や理論を他者から教授されても全く持って理解できない。

むしろ、多くの患者はマニュアルに書かれていることだけで多くのことが解決できる。

エビデンスに基づく医療が叫ばれて久しいが、エビデンスとは最新の理論や論文に記載されていることだけではない。

すでに証明されて、教科書やマニュアルに載っていることを使いこなすこともエビデンスに基づく医療である。

マニュアルを軽視しては、いけない。

やりたいことがあるセラピストはマイノリティーである

キャリアデザイン研修やリハビリテーション部門のコンサルティングをしていると以下のような質問をよく受ける。

「やりたいことが見つからないので困っています、どうしたらいいのでしょうか?」
「うちの職員は将来の目標がなく、漫然と臨床をしています。どのように教育したら良いのでしょうか?」
「目標管理における目標設定が低くて困っています」

つまり、目標設定とか、やりたいこと・・・これらを明確にした上で、仕事をしてほしいと管理職は切望している。

しかし、今のご時世、やりたいことや人生の目標があるセラピストはマイノリティーである。

そもそも、日本は世界最強の先進国であり、物質的には十分に満たされている。

その上、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士は国家資格であり、職場を選ばなければ就職率100%である。

しかも、セラピストとしての能力が低くても就職できるという公務員以上に、市場の競争から守られている特殊な仕事である。

そんな世界で生きているセラピストにやりたいことや目標があるほうが珍しいと考える方が賢明である。

そんなセラピストをどのように導いでいけばよいのだろうか?

そのようなセラピストには、「ロールモデル」の提示が最も有効である。

今日は、病床削減、地域包括ケア、在宅シフト、EBM思考、ロボット活用・・・などリハビリテーションに関する価値観が多様になっている。

また、インターネット世代の若いセラピストほど、多くの情報に触れており、膨大な選択肢から何かを選択することが苦手である。

よって、リハビリテーション部門や介護事業所は、どのようなセラピストになってほしいかというリアルなロールモデルを提示しなければ、セラピストが自ら目標を想起することは困難である。

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このようなことをこのようなレベルでできるようになる
接遇はこの程度のレベルになる
書類作成はこの程度の水準はできるようになる
歩行介助は○○さんと同じぐらいのレベルになる
リスク管理に関するテストで80点以上を獲得する
カンファレンスでは○○さんのように発言する

など、より具体的に求める人物像を示すことが重要である。

そもそも、やりたいことや目標設定ができる人で組織が構成されていれば、人材教育など不要である。

目標設定を本人に任せていると言えば、聞こえは良いがそれはただの人材教育の丸投げである。

「やりたいことがあるセラピストはマイノリティーである」という認識が人材育成の基本である。