「難しい」と「不可能」が混同している職場には未来がない

何か、職場で新しいことに挑戦しようとすると「それは難しいなぁ」、「やってもいいけど難しいと思うよ」という言葉が周囲から出てくる。

そして、その「難しい」という言葉は、いつしか、絶対できない、つまり、「不可能」という言葉に置き換わる。

そもそも、業務改善や組織改革は「難しい」ことである。「易しい」ことであれば、誰でもすぐに取り組める。

「難しい」ことであるから、誰も取り組まなかった。そのために、業務は非効率となり、組織風土も悪くなったのである。

「難しい」を連呼する人は、「難しい」という言葉を数多く並べることで、業務改善や組織改革に関する取り組みが不可能であるという印象操作を狙っている。

賢明な人であるならば、「難しい」という言葉を連呼するのではなく、「難しい」という理由を、様々な要素に分けて分析・解説し、その行動の実現可能性について真摯に検討をするものである。

医療・介護業界は度重なる法改正や社会変化により、月単位で様々な業務改善が必要となっている。

しかし、現実的には業務改善や組織改革の取り組めず、経営の危機に陥っている医療機関や介護事業所が少なくない。

「難しい」と連呼することには意味がない。

「難しい」は「不可能」ではない。

「難しい」からこそ、やる意義があるのだ。

It is difficult,maybe. But, not impossible!!

 

理想と現実が違うなら、理想を求めて行動を起こせば良い

「理想と現実は違う。だから、その理想を追い求めることは困難だ。」

医療・介護のコンサルティングをしているとこのような趣旨の言葉が経営者や管理職の口から度々飛び出す。

この言葉の真意は、「理想と現実はあまりにもギャップがあるので、そのギャップを埋めることは困難だ。だから、そんなことは諦めたほうが良い」であると推察される。

しかし、よく考えてみて欲しい。いつの世も理想と現実は違う。「その時代に存在する現実に対しての理想」がいつの世も設定される。その理想を追求することが、人間がもつ力であり英知である。

今の世の中は、昔に創造された理想に満ち溢れている。 車、電車、飛行機などの交通インフラ、食糧事情、住宅、学校、医療、介護サービスなど一昔前にはすべて、理想であった。

「理想ばかり語ってはダメだ」とよく聞く。
確かに、理想だけを語り、行動を起こさないのは罪だ。
そんな理想は机上の空論である。
しかし、理想がなければ行動も語れない。

冒頭の「理想と現実は違う。だから、その理想を追い求めることは困難だ。」には、別の意味が含蓄されている。
「何が理想なのかわからないので、理想を語ることができません」
「理想はわかっているのだが、行動を起こすことができない。そうであれば理想は語らない方が体裁が良い」という意味も含んでいる。

昨今の医療・介護事業には常に、理想と現実のギャップがつきまとう。
診療報酬、介護報酬の改定は常に新しい理想を経営者や管理職に突きつける。

もし、経営者や管理職が理想を追い続ける姿勢を失ったらならば、それは医療・介護事業を放棄したものと同じである。

あるべき姿である理想を捨てた経営者や管理職は、名ばかり経営者・管理職である。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士のステークホルダーはなんだ?

ステークホルダー
利害関係者
消費者(顧客)、従業員、株主、債権者、仕入先、得意先、地域社会、行政機関であり、自身との関係の中で、利害が発生する間柄であること。

あらゆる職種にはステークホルダーが存在する
当然、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、医師、看護師、薬剤師・・・・にステークホルダーが存在する。
多くの医療・介護従事者は、利害関係者を患者や利用者と認識している。
これは正しい。
サービスを直接提供する相手である患者や利用者は、サービスの提供に対し対価を支払う関係であることから間違いなく利害関係者である。

しかし、患者や利用者のみが利害関係者であると考えるのは、間違っている。
医療・介護従事者にとって利害関係者は、多様に存在する。
例えば、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士にとって、医師やケアマネージャーは間違いなくステークホルダーである。

医師やケアマネージャーの指示や計画により、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は自らの任務を果たすことが出来る。その任務の成否は、医師やケアマネージャーの任務にも影響を与える。いわゆる一人の患者や利用者の運命に影響を与える共同体として関係である。
したがって、医師やケアマネージャーにとっても、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士はステークホルダーである。

ステークホルダーを考えることができない医療・介護従事者は多い。
特に職人肌の職種ほどステークホルダーに対する視野が狭い。
職人は、自分のこだわりの実現や自分特有の作品に対する指向性が強い。
したがって、ステークホルダーに対する視野が狭い傾向がある。

しかし、今の世の中は、ステークホルダーとの連携や拡大が評価される時代である。
組織や社会の課題を解決することが、より評価される現代では、ステークホルダーを特定し、重要視できない人は、淘汰される可能性が高い。

職人肌の職種の持っている技術・知識は、間違いなく組織課題や社会課題の解決に有用なものである。
職人の持っている能力を組織や社会に還元するためには、ステークホルダーを今一度整理し、そのステークホルダーにどれほど貢献できているのか?を検討する必要がある。

理学療法・作業療法・言語聴覚療法・看護・介護も手段であり、目的ではない。
その目的はステークホルダーと共有している組織や社会課題の解決である。

 

批判と嫉妬は紙一重

批判が好きな人がいる
批判をすることで自己の存在を知らしめる人がいる
批判キャラで炎上を狙い、注目を集める人がいる
批判をマーケティングに使う人がいる

ある哲学者曰く、あらゆる意見は、「批判」があるから、意見として成り立つ。

つまり、批判とは、本来、意見に対する別の視点からの意見、つまり、対案に近い意味を成すものである。つまり、対案の存在により、意見が意見として成立する。

しかし、批判を用いて、相手を窮地に陥れ、自らのポジションを高めることを人がいる。
そのような人は自己顕示欲が高い。
自己顕示欲が高い人は、嫉妬心を強く持つ人であると言える。
つまり、批判のための批判や注目を集めるための批判をする人は、批判の矛先である相手に「嫉妬」しているのだ。

嫉妬を感じるということは、自分の価値と他人の価値を比べて「敗北」を感じることである。

相手との関係で相対的に「敗北」を感じた瞬間、自分の価値が下がったように感じる。
「自分の価値の低下」は、自己嫌悪感を生み、それに対する防衛機制を生じる。
防衛機制は様々な反応を示し、その結果として相手を「批判」するという症状が現れる。

この場合、建設的な批判になることは少なく、自己防衛のための批判となる。

建設的批判をするためには
意見者の人格を攻撃しないこと
なぜ批判するのかを明確にすること
言いたいことは具体的に説明し、感情論に終始しないこと
相手と対等の立場で接すること
が重要である

SNS、ブログ、ネットサーフィンが生活の一部になっている現代社会では、様々な「意見」と「批判」が飛び交う。

このような社会では、批判にも種類があることを見極め、批判へのリテラシーを高めることが重要である。

 

タイムマネジメントを放棄すると環境の奴隷へ一直線!

タイムマネジメント
それは自分らしく生きるための必須の技術。
日本語に訳せば、時間管理。
しかし、時間は地球上に住む誰にとっても24時間しかない。
したがって、物理的に24時間を減らすことや増やすことは不可能である。

では、タイムマネジメントとは、何をマネジメントすることなのか?
筆者は「自分の行動を管理し、人生や仕事の目標を到達する一連のマネジメント」がタイムマネジメントと定義している。すなわち、自身の行動と人生や仕事の目標の整合性を得ることが、タイムマネジメントである。

したがって、人生や仕事に目標がない人は、タイムマネジメントを行う動機が生じない。タイムマネジメントがなければ、自分自身の人生や仕事が他人や環境に支配されることになる。

高度経済成長や人口増加社会が終焉を迎え、日本は今や世界の最先端先進国になった。
そのため、社会が成熟化し、従来の社会モデルが通用しなくなっている。特に、人生や仕事に関しては、従来のモデルが完全に崩壊し、生き方や働き方に絶対的な正解がない状況である。

このような状況では、自分の生き方や働き方に関して能動的に目標を設定し、日々の行動を管理するタイムマネジメントを実行しなければ、周囲の環境に人生が支配されてしまう。

あなたの職場や周りには、人生や仕事に関して以下のようなことを言う人はいないだろうか?

上司が悪い 部下が悪い 相手が悪い 景気が悪い
会社が悪い 時代が悪い 嫁が悪い 親が悪い

このように周りの環境に責任転嫁をしている人は「環境の奴隷」と言える。
周りが悪いと責任を添加している人は「私の人生は私の周りの人に支配されています」と明言しているようなものである。

人生や仕事を自分でコントロールすためには「環境に逆らうこと」が必要である。
環境に逆らうことが、自分の人生をコントロールすると思っている人は少ない。
今から、明日から、何のために時間を使いますか?
人は「今」しか生きることができません。
「今」を何のために使うかを選択しなければなりません