「職業に就くことが重要である」という洗脳は、確実に医療・介護業界に悪影響を与えている

医療・介護現場における諸問題はなぜ解決しないか?

今の時代、医療や介護に関連する社会課題は多様性を極めている。

したがって、単一の専門職の考えや思想では、問題解決が困難である。

別の見方をすると、医療・介護関連の資格が、問題解決のための考え方や思考のボトルネックになっていると言える。

日本では「職業を得ることの重要性」が幼少期から教育されている。

七夕や卒業文集では決まって「なりたい職業」を書かされる。

高校三年の夏ごろに、進路指導の先生に呼び出され、突然、「なりたい仕事」への決断を迫られる。

「職業を得ることが美徳」という考えが日本では一般的である。

したがって、医療・介護関係者の大半は、医師になること、看護師になること、薬剤師になること、理学療法士になること、作業療法士になること、介護士になることが目標となり、その目標達成の結果、資格を有している。

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つまり、
自分がどのような人間になりたいのか?
社会でどのような役割を担いたいのか?
について考える機会が少ないままに、医療・介護の有資格者になった人が多い。

職業に就くことが目標になると、医療介護従事者になった瞬間に目指すべき次の目標がなくなる。

自身の職責の範囲で担当している患者や利用者についてはサービス向上の努力は行う。

しかし、自身の職責の範囲を超えて、他職種と連携する、事業所間の調整を行う、他職種の知識・技術を学ぶ、経営や運営について関与することに関しては、相当な理念がなければで取り組むことはない。

現在の医療介護現場では各専門職の知識や技術に加え、他職種との連携や経営、運営への参画が求められている。

つまり、自身の専門性を磨きつつも、他の能力を磨いていくことで人間としての総合力を高めていく者が求められている。

そのような医療・介護従事者は圧倒的に少ない。

このような現状では、総合力の高い人間は希少価値が高いため、給与や地位は高くなる。

「職業に就くことが重要である」という洗脳から抜け出せない医療・介護従事者そのものが、日本の深刻な社会課題ではあるまいか。

 

 

医療・介護情勢を踏まえると「脱職人」も悪いことではない

従来の医療機関や事業所の開設基準は、施設基準に主眼が置かれており、品質基準を求めてこなかった。

そのため、多くの医療・介護事業者が現れ、今やデイサービスのように過剰供給となっているものまで出てきている。

医療においても急性期病棟や回復期リハビリテーション病棟は、レッドオーシャン状態で、熾烈な競争にさらされている。

各事業所が施設基準の維持に重きを置いた運営をしたため、品質の悪い人材や理念、サービスが横行した感が否めない。

その結果、医療や介護事業のレッドーシャン化が進み、生き残りが目的となった経営や運営が散見する。

施設基準はもちろん重要であるが、品質基準もそれ以上に重要である。

品質基準の維持向上には企業の理念や総合力が試される。

企業の理念や総合力の弱い施設では品質基準を満たしていくことは不可能である。

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医療・介護サービスは有資格者が行う。

今の医療・介護従事者は職人的思考を持つ者が多く、品質基準についての判断能力は乏しい。

職人は常に自分のために働いており、自分が納得するか、しないか?が、仕事において重要である。

しかし、マーケットは社会的な品質水準を医療・介護事業所に求めている。

よって、医療・介護事業所は外部環境に合わせた品質基準の順守が重要である。

医師は、看護師や療法士が医師に対して何を求めているか?
看護師は、医師や療法士が看護師に対して何を求めているか?
介護士は、看護師や療法士が介護士に対して何を求めているか?
薬剤師は、医師や看護師が薬剤師に対して何を求めているか?
そしてあらゆる職種は国は、自身に何を求めているか?

このような想像力を持たなければ、技術職はどんどん時代にマッチしていかなくなる。

脱職人も決して悪いことではない。

 

リハビリテーションと健康増進のボーダレス化が進む

日本は世界一の高齢社会を迎えるに当たり戦略的に医療政策を進めてきた。

特に急性期医療・回復期医療・慢性期医療のハード面、ソフト面両面の整備には余念がない。

高度急性期病棟の創設
回復期リハビリテーション病棟のリハ対象疾患の厳格化
多重疾患や退院調整に対応する地域包括ケア病棟の設置
訪問看護ステーションの推進による在宅医療提供体制の強化
が近年の医療政策の中で進められてきた。

そんな中、安倍政権においては人口減少社会が大きくクローズアップされ、現役世代の労働力の確保や65歳以上の人の労働への従事推進の政策が進んでいる。

そのためには労働者の身体的、精神的な不調を予防し、健康な状態を維持しながら労働への参加が可能な労働人口を確保することが必要不可欠である。

現在、健康状態を悪化させ、十分な労働力を提供できない人が増加している。

このような現象をプレゼンティーズムと呼ぶが、プレゼンティーズムによる労働力の損失は企業にとって大きな問題となっている。

鬱を代表とする精神面の不調、腰痛、肩こり、膝痛などの身体的不調、そしてそれらの症状を放置したことによる長期的な心身の不調をどのように予防していくのか。

また、65歳の労働者に対しては健康増進プログラムを準備することが、高齢労働者への労働へのインセンティブにもなるだろう。

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現在、日本における健康増進は民間のスポーツクラブ、健康食品産業などがその中心を担っているが、対象としている顧客も高齢化が進んでいる。

また、労働を継続するための健康維持にはリハビリテーションの視点による予防医学的介入も必要となってくる。

健康増進分野の人材が予防分野を牛耳るか?
リハビリテーション医療分野の人材が予防分野を牛耳るか?
それともバウンダレスキャリアを有するリハビリテーション医療及び健康増進分野の人材が両ジャンルを牛耳るか?

共存共栄という美しい言葉では、片づけられない市場の争奪戦が始まっている。

 

 

医療・介護従事者はマーケットに身を投じろ

医療や介護の情勢は刻々と変わる。

高齢者が増加する2030年までは医療・介護従事者は規制緩和により量産化される。

必要な数の医療・介護従事者は、最低限の生活が出来る水準の給与を得ながら労働力として、国によって確保されていく。

しかし、物価高、消費増税などの影響から生活が徐々に厳しくなるのは明白である。

家族を養う、家を買う、車を買う、親の介護費用、子供の教育費用の捻出等を考えると到底、国の設定する給与水準ではやっていけない。

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そのため、給料を上げるという行為を能動的に行う必要性が高まっている。

給料を上げるためにまず優先的に決定をしなければならないことがある。

それは社会が求める能力を高めるか?
自身の所属する会社が求める能力を高めるか?
について選択しなければならないということである。

要するに、セルフマーケティングである。

社会や会社が求める能力はどちらも10年後の状況を十分に予想し、その上で自身の能力を磨いていく必要がる。

社会が求める能力はマクロ的に考える必要がある。

時には国外のみならず、国外の医療・介護や社会情勢にも目を向ける必要もある。

また、医療・介護制度の未来を予測した活動が必要であるため常に周りからは好奇の目にさらされるかもしれない。

会社が求める能力はミクロ的に考えなければならない。

オーナーや会社の考えや10年以上先の会社存続の可能性、各部署のパワーバランス、そして事業展開に求められる能力の棚卸をしなければならない。

この場合、自身の会社に今後も継続して勤務をするという覚悟が求められる。

今や医師、弁護士、聖職者の三大プロフェッショナルも給料の増加に苦慮する時代である。

三大プロフェッショナルでさえも国は守ってくれない。

医療・介護従事者はまさに自分自身をマーケットという渦中に身を投じる覚悟が必要である。

それは技術的なことではなく、マインドの問題である。

今、各医療従事者には意志が必要である。

意思の「意」の意味は想うことである。

即ち意思とは「志を想う」ことである。

志を想い続けない医療・介護従事者には金銭的には明るい未来は来ないと断言する。

まさにワークシフトが求められている。

 

給料は上がるんじゃない、自分で上げるんだよ

医療・介護職の中でも、セラピスト、介護士、事務方の給料はとりわけ低い。

現状は手取り15万~30万円の人がほとんどではないだろうか?

給料は誰が上げるのか?
それは国か?
院長か?
施設長か?
行政か?

ちがう、自分だ。

自分で給料を上げるんだ。

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小学校、中学校の時に野球やサッカー、武道でレギュラーメンバーに選ばれるのはどうした?

何の努力もなしに選ばれたか?

何の努力もせずになれた人は親のコネを使える特別な奴だけ!

レギュラーになるために、チームが求めるポジションを分析し、そのポジションに必要な心技体を磨いたろ?

なんで、介護福祉士やヘルパー、理学療法士、作業療法士になったとたんに、給料が上がらないと愚痴を言うのだ?

給料は上がらないのではなく、上げるものなんだよ!!!!