2025年問題のカギを握るハイブリッド医療・介護従事者

2025年までの診療報酬・介護報酬改定のトレンドは間違いなく在宅復帰・在宅シフトである。

在宅復帰後の生活を困難にする要因は、病状の急変と急激なADLの低下に起因する家族介護負担増加である。

すなわち、在宅復帰後においては病状およびADLの維持・向上に関して全力の対応が必要である。

回復期リハビリテーション病棟や地域包括ケア病棟では医師、看護師、セラピスト、薬剤師、管理栄養士、臨床心理士などの多職種が同一のエリアで仕事をしており、物理的にも心理的にも職員間の距離が近い。

そのため、情報の入手やナレッジの共有がしやすく、個別ケア、リハビリテーションのプログラムの立案が多くの情報や知識に基づき得られやすい。

そのため、精度の高い個別ケア、リハビリテーションが提供されやすい。

しかしながら、在宅医療や介護のサービスにおいては大きな問題が存在する。

1.リアルタイムの情報が得られにくい仕事環境である点
2.他事業所の主治医、看護師、セラピストが担当患者にかかわっている点
3.ケアやリハビリテーションに関して共通の理念を有していない事業所間においてサービスを行っている点
4.そもそも急性期、回復期リハ病棟から十分な情報が得られにくい点などがあり、個別ケア、リハビリテーションの立案が阻害されやすい

2025年に向けて大多数の患者は在宅で生活し、状況が悪化した場合のみ病院や診療所を利用する仕組みの構築が現在進行している。

しかし、在宅生活を支える在宅医療を取り巻く状況はハード面だけでなく、ソフト面の開発も遅れていると言わざる得ない。

病院や介護施設においてもチーム医療・介護は大きな課題であり、ましては物理的、心理的な距離も離れている在宅医療においてチーム医療・介護をするのはより一層難しい。

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この問題を解決する一つの方法がある。

それは「自分の専門性を確立した上で少しでも他職種、領域の知識・技術を有すること」である。

すなわち、ハイブリッド型医療・介護従事者の育成であり、投資である。

そうすることで、チーム医療やチーム介護に生じる時間的コスト・心理的コスト・経営努力などが削減でき、チーム医療・介護の発展に寄与する。

ここで一点重要なのは「専門性の確立が前提としたうえでのハイブリッド医療・介護人」であるという点である。

自身の専門性が確立していない場合に多領域の知識を有していても、自身の専門性と多領域の知識や技術を有機的に結合させることができず結局、十分なサービスのアウトプットができない可能性が高い。

脳卒中リハビリテーションを得意とするセラピストが薬剤の知識を活かすことができれば、脳卒中の症状と薬剤の副作用(たとえば向精神薬などの動悸や高揚感)などを判別するができ、リスク管理が可能となる。

ポジティブに診療報酬・介護報酬の改定を考えると、医療・介護従事者のキャリアには無限大の可能性がある時代になったとも言える。

 

 

 

 

 

これからの医療・介護従事者に必要な社会課題解決の視点

現在の医療・介護従事者の仕事内容は、法律で定められた資格の業務範囲で定められる。

つまり、整形外科医師なら整形外科の診断と治療、作業療法士なら作業療法、看護師なら看護ケア、薬剤師なら調剤や薬の監査などである。

医療・介護従事者や組織も法律による縛りにより、資格が定めた範囲以外の業務は行うことを想定していない。

先般、神奈川県で開催されたとあるリハビリテーション学会に参加したところ、以前と比較して企業ブースや演題発表の内容が変質していた。

10年前にはなかったコンセプトの医療機器や福祉機器、演題発表が数多く存在していた。
特に演題内容は地域連携、看護連携、介護士連携、教育の在り方、職域拡大、摂食嚥下、福祉機器、ロボットなどが多かった。
しかし、一方で脳科学、細胞学、神経生理学などのより深い医学モデルの内容も盛んに発表されている。

学会発表や研究開発はすべて社会問題の解決、国民の幸せにつながらなければならない。
つまり、学会発表や研究開発の分野が幅広くなろうと、医学モデルの深いものになろうとも、それが社会課題の解決、国民の生活に役に立つのかどうか重要である。
医療従事者や研究者の自己満足での発表であればその発表は決して社会課題の解決には結びつかない。

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「社会課題を解決する」活動は2025年以降の仕事の在り方として常識になると言われている。

今の医療・介護従事者は社会問題の解決に向けた仕事しているのか?

例えば、何度も自宅で転倒や肺炎を再発し、入退院を繰り返す老人がいる。

これに対して入院中に抗生剤の投与と座位保持獲得のリハビリテーションという部分最適のみのアプローチがどれほど意味があるのだろうか?

このような事例に対してどう対応をするべきか?

社会課題を考える医療・介護従事者。

これが今後のキーワードだ。

 

多くの医療・介護従事者が知らないこと

とんでもないことが起こっている。

医療・介護・年金の社会保障費はとんでもない額に膨れており、国が国民から借りている「借金」が巨額化している。

それでも日本は、医療にフリーアクセスを認めてきた。

日本国民の国民性や選挙制度を考えると、医療のフリーアクセスを死守せざる得なかった歴史もある。

しかし、平成26年・平成28年度診療報酬改定により地域包括診療料、地域包括ケア病棟、そして病床機能報告制度などの新たな国策の導入によりフリーアクセス感が消えつつある。

直近の診療報酬改定は、「地域の医療機関や薬局は地域の患者を掴んで放すな!」というメッセージを含んでおり、患者の自由な受診行動を制限する流れが強化されている。

また、介護保険は元来、混合介護が認められている。

すなわち、自費を出せば追加の介護サービスを受けられる。

国は医療保険より先に、混合介護を早くから解禁しており、介護保険領域において民間企業のために、参入障壁を低くし、多様サービスを認めている。

その流れを受けて、現在、大手企業が続々と介護、医療、予防分野に参入している。

医療・介護業界は熾烈な競争が急激に進んでる。

しかし、どうも多くの医療・介護従事者はこの事態を理解できていない。

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海外からの医療の参入、海外への医療介護の輸出、ロボット技術、外国人労働者の参入・医療介護の都道府県自治体によパフォーマンス管理・・・・

まだまだ、生じる医療・介護の激震

これからの変化に適応しないとどうなるか。

江戸時代から明治時代にかけて、「籠屋」という職業は消えた。

この意味を、真に理解する日が近づいている。

 

 

 

 

 

医療・介護従事者の働き方NEXT

医療介護業界における働き方の選択肢が増えている。

国内では医療・介護施設の機能分担が進んでおり、施設に求められる能力も明確になってきた。

各医療機関や介護事業所は今より一層の企業努力がなければ、国内の競争においても負けてしまう。

確かに高齢者の人口は増えているが、その分に比例して医療介護事業所が増えている。

よほど、差別化された隙間市場を開拓しない限り、血みどろの戦いすなわち、レットオーシャン市場での争いを覚悟しなけれならない。

一方で、近年、海外においても日本の医療ビジネスの輸出が開始された。

介護、医療が海外に輸出されることは国益から考えてみても重要であるが、この流れに今の医療介護従事者はついていけるのだろうか?

語学の問題だけでなく、保守的な日本の市場で育ってきた医療介護従事者が海外事業に関わるのは難しい。

海外事業に関わるのは並の努力では無理であり、今まで以上に医療介護の知識、技術そして語学やビジネススキルを磨く必要がある。

地域包括ケアシステムのカタチも少しづつ見えてきた。

地域における各職種の役割
各職種における成功のモデルケース
などが、徐々に明確化されている。

国内市場や海外市場の変化は、働き方の選択肢を明らかに増やしている。

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働き方を選択するために必要な判断材料はそろってきた。

しかし、判断ではだめで、決断ができるかどうか?

最も酷いのは、判断もしない思考停止状態である。

いずれにしても、働き方の選択が、医療・介護従事者にとって必要な能力となる時代がすでに到来している。

読者の方は、働き方について、決断していますか?判断していますか?それとも、思考停止ですか?

 

 

環境の奴隷・アーチスト化した個人事業主は、これからの医療・介護では困難にぶち当たる

他人や社会より期待されることばかりに基準を合わせて仕事をすると、「環境の奴隷」となってしまう。

環境の奴隷をやり続けると意思の麻痺が起こってくる。

そして、いずれ「環境の奴隷になることが自らの意思」であるかのように錯覚する。

環境の奴隷は、自分自身の心に抑制をかけ、ただ、言われたことだけを淡々とこなす。

言われたことだけをこなすため、業務における工夫や改善には興味を示さない。

よって、作業を提供する者として力は発揮できるが、作業以上の価値を提供できる可能性は乏しい。

また、医療・介護従事者は環境の奴隷になっている人も多いが、アーチスト化した個人事業主も多い。

アーチスト化した個人事業主は組織になじめない。

自分が好きなことにしか興味がないからだ。

好きなことはしても良いが、誰からも必要とされない好きなことには価値が生じない。

自分のやりたいことにしか興味がない人は、今求められているチーム医療、地域包括ケア、医介連携などに興味を示さない(もっとも、対応できないだろうが)。

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よって、好きなことが他人や社会から必要とされることであるかどうか?というマーケット感覚がなければ、変革の時代を迎えている医療介護の世界では、価値を提供することは難しい。

環境の奴隷、アーチスト化した個人事業主は、医療・介護業界では蔓延っている。

人材として価値を提供できるか、否かというマーケット感覚の欠如は、これからの医療・介護の人材市場では大きなマイナス要素である。