空気を読めない人は三流・空気を読む人は二流・空気を創る人が一流

職場の意向や指針とは全く異なることを、根回しもなく、突然、言ってしまい全員から総スカンを喰らう人がいる。

職場の意向や指針とは違うことを言うことは、悪いことではない。

適切なタイミングで、適切な場所で、建設的な意見を言うことができれば、総スカンを食らうことはない。

しかし、空気を読めない人は、不適切なタイミングで、不適切な場所で、不適切な意見を言ってしまう。

日本の職場では、空気を読むことが美徳されている。

筆者は、空気を読むを、「その場の雰囲気から状況を予測し、自分がするべきことやしないこと、あるいは相手に求めることや求めないことを決定していく思考過程」と定義している。

この能力は重要である。

職場のミッション遂行を支えるために、従業員は存在する。

よって、従業員の空気を読む力というのは、重要な経営資源である。

しかし、空気を読む力に長けた職員がばかりが増えるのは、実はよくない。

空気を読む力は、組織の具体的な報告性が示されている時には大きな力を発揮するが、経営状態が悪化した時や、組織の方針が揺らいでいるときには、状況を打開する力を持たない。

このような時には、空気を創る人材が必要である。

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自分の意見や考えを周囲に伝えたり、明るい挨拶や素晴らしい接遇をしたり、前向きな発言をすることで、新たな空気を創ることができる。

特に、経営状態が低迷している、組織改革が必要な状況、大きな課題が山積している状況の職場では、空気を読む人より空気を創る人材が求められる。

空気を読めない人は三流
空気を読む人は二流
空気を創る人が一流

あなたはどの人材であるか?

 

キャリア・ハイを目指すには会社や部門より求められる以上の仕事をする必要がある

今の職場で認められるためには、会社や部門より求められる以上の仕事をする必要がある。

求められている仕事は、お給料をもらうためにしなければならない最低限の義務である。

求められている以上の仕事をして初めて、「仕事ができる人」として認識される。

新しいプロジェクトや組織改革について、率先して理解し、協力する姿勢を持っていれば自ずと、仕事の内容が「最低限の仕事」から「最高点を目指す仕事」に変化していくだろう。

経営環境が厳しい今の医療・介護業界では、有能な人材はすぐに目立つ

有能な人材と認知されれば、あなたが想像している以上に付加価値の高い仕事が舞い込んでくる。

付加価値の高い仕事は、新しい経験や知識を学ぶチャンスでもあり、かつ、処遇も向上する可能性が高い。

介護報酬改定・診療報酬改定により、介護事業所や医療機関では短いスパンで様々なとプロジェクトや新規事業が行われる。

そのような新しい取り組みに対して、傍観者のような態度しかとれない人材は、職場で認められる人材には、決してならない。

傍観者への評価は厳しい。

傍観者は新しいプロジェクトや新規事業に対して行動を起こさずに、批判ばかりを繰り返す「社内評論家」と認識される。

また、傍観者は、自ら建設的な意見をもっておらず、ただ単純に、仕事環境の変化を嫌がっているだけの、「保身者」として認識される。

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環境変化の激しい時代の医療・介護経営において、「評論家」と「保身者」は最も評価されない人材である。

今の時代に働く医師・看護師・理学療法士・作業療法士などの医療従事者にとって、求められる以上の仕事をすることは、キャリア・ハイの必須項目である。

 

付き合う人でキャリアは変わる

自分より能力の高い人と交流が少ない人は多い。

正確に言うと、自分より能力が高い人との交流がしたくない人が多い。

なぜならば、
自分より能力の高い人と交流すれば、その人との能力の差を感じ、その能力の差が、自分自身を傷つけることになるからだ。

よって、傷つくことを恐れて、自分より能力の低い人との交流を選ぶ人が多い。

自分より能力の低い人と交流すれば、自分が傷つくことはないし、時に、相手から認められ、優越感を感じることもある。

しかし、そのような環境に身を置くと、将来のキャリアにおいて取り返しのつかない事態を招く。

これからの社会においては、自分の能力を高めていくことは、益々、重要となってくる。

日本の終身雇用制は完全に崩壊しており、働く人の価値の高低が雇用の有無を決める最大の条件となってきた。

しかし、看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・医師・薬剤師等の医療従事者は、自分が提供できる価値よりも、国家資格を振りかざして働いている人が多い。

そのような人は、資格に依存したキャリアを歩んでいる。

もし、近い将来、資格だけでなく、その人の価値に重きが置かれる時代になったとすれば、資格を振りかざした人たちは労働市場から総スカンを喰らうだろう。

たしかに、自分より能力の低い人たちと交流を持つことは、精神的には楽である。

しかし、そのようなことをしていると、全く自分の能力の棚卸ができず、能力の向上に必要な「能力の現状把握」が困難となる。

最も悲惨な状況は、自分の現状把握もできていないことに加えて、「自分はしっかりと価値提供ができている」と勘違いしまうことである。

これは、自分の能力の比較対象が自分より能力の低い人となっているために、生じる現象である。

自分の能力を伸ばしていくための、比較対象は、「自分より能力の高い人」や、「昨日までの自分」でなければならない。

付き合う人で人生は変わる。

キャリア開発をする上で、付き合う人は極めて重要である。

 

 

 

 

電話一本もろくにできない医療・介護従事者は、将来の見込みなし

医療機関や介護施設に勤めていると、社内PHSや携帯電話で社内外の方と話すことが多い。
また、目の前の相手が、自分との会話中に、会話が中断して、他人と電話でやり取りをすることも多い。そんな時によく経験することがある。

電話をかけてきた相手が名前を名乗らずに、話続ける
かかってきた電話に態度が悪い
相手が忙しいことを配慮せず、一方的に話を続ける
などなど・・・・。

電話で社内外の人と話すときに、態度が悪い、偉そう、名前を名乗らない、相手の状況に配慮しないレベルの医療・介護関係者は非常に多い。

特に、医師・看護師・理学療法士・薬剤師など専門職の電話対応の悪さは目立つ。

自分より立場が下と判断した相手には、なんとも冷たい対応をすることも多い。

たかが、電話一本で何が問題なんだ?と声が聞こえてきそうだが、それが実が電話一本ですまされる問題ではない。

実は、電話一本からセルフ・マーケティングが始まっている。

どれだけ技術や知識を持っていても
どれだけ学歴や偏差値が高くても
どれだけ貴重な資格を持っていても

電話一本もまともにできなければ、社内外での評価は下がり、潜在的顧客が減少する。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・看護師・医師が社内外で、自身の活躍の場を増やし、給与などの処遇を増やしたい場合、セルフマーケティングを行い、自分自身の価値を社内外で購入してもらう必要がある。

どれだけセルフマーケティングの努力をしていても、態度の悪い電話一本で、セルフマーケティングの努力は吹き飛ぶ。

大体、電話一本も出来ない人間に、チーム医療やチーム介護、ましてや地域包括ケアなど出来るはずもない。

たかが、電話一本

されど、電話一本

である。

 

心身機能を軽視して、偏重的に活動・参加を訴えるセラピストが増えたという事実

2015年度介護報酬改定では、リハビリテーション分野において「心身機能」・「活動」・「参加」の重要性が明示され、通所リハビリテーション・訪問リハビリテーションでは「活動」と「参加」に資する取り組みを評価する介護報酬項目が整備された。

活動・参加の概念は、リハビリテーション本来の意義を問いただすものであり、これからの高齢化社会においては益々重要となる。

しかし、筆者はこの一年間感じてきた違和感がある。

心身機能の評価や介入が未熟なセラピストに限り、「活動」「参加」が重要だと異常に訴える事例が散見することである。

自身の理学療法・作業療法・言語聴覚療法が未熟なことで、患者や利用者の基本動作能力・応用的動作能力・言語聴覚機能が回復しないことに気づいていないセラピストは残念ながら存在する。

そういったセラピストが、十分に患者や利用者の心身機能のポテンシャルを引き出してない中で、「活動」と「参加」に傾注することは、患者や利用者にとって迷惑千万な話ではないか?

セラピストと患者・利用者の間には「情報の非対称性」が存在する。

情報の非対称性とは
保有する情報に差がある時に生まれる不均等な情報構造
の事を言う

つまり、患者や利用者はセラピストより心身機能・活動・参加に関する情報を有していないため、セラピストの言いなりになる傾向がある。

セラピストが、「あなたの心身機能はもうプラトーなので、自宅では歩行器を使って歩きましょう」と説明すると、「心身機能がプラトー」であると判断する情報を患者や利用者は有していないため、セラピストの説明に従う可能性が高い。

しかし、心身機能の評価や介入に長けたセラピストがその患者や利用者を診れば、「十分に自立歩行を目指せる」と評価する可能性もある。

「活動」・「参加」はリハビリテーション上の目標であり、人が自分らしく生きていくために必要な概念である。しかし、心身機能の向上の追求なしに、「活動」「参加」という表面的な概念だけを妄信的に追いかけていくことは、リハビリテーションの概念にも反する。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は、他職種と比較して、医学的側面から心身機能を評価できるアドバンテージを有しており、そのアドバンテージを活かして、「活動」・「参加」を客観的に冷静に評価・介入することが最大の強みである。

心身機能の評価・介入を軽視した「活動」・「参加」への妄信的な取り組みは、視野の狭い「活動」・「参加」偏重主義者であり、決して、患者や利用者のQOLの向上には寄与しないだろう。

心身機能・活動・参加
この概念の全ての要素を限りなく追求する事で本来のリハビリテーションが達成できる。
当然、心身機能だけを追求し、活動・参加を無視することはあってはならない。

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リハビリテーションサービスのインフラが整ってきている時代だからこそ
心身機能が評価できて
活動も評価できて
さらに、参加も評価できる
が当たり前にできるセラピストが真に活躍する時代が近づいているのではないだろうか?