アウトカムなき理念は虚構である

世の中のリハビリテーション部門には理念というものが設定されていることが多い。
理念が存在する理由は各リハビリテーション部門で異なる。
1)リハビリテーションの質を上げるために、理念を設定した
2)病院がISOや病院機能評価を受けるので、理念が必要となった
3)院長や事務長から理念を作れと言われたので作った
4)誰が作ったかわからない理念が昔からある

理念が設定された意図は各リハビリテーション部門でも様々である。
2)3)4)の理由で存在している理念は、理念としての機能はなく、理念の存在意義が失われている。

本来、理念は1)を動機付けとして設定されなければならない
理念はリハビリテーションの質を上げるためのガイドラインを示したものであり、組織やセラピストの行動指針を示すものである。

しかし、リハビリテーションの質の向上を目指した理念であっても、理念の機能が不十分になっているリハビリテーション部門が多い。

理念が理念としての機能しているかを検証するためには、理念のアウトカム設定が必要となってくる。

例えば
質の高い地域リハビリテーションを提供する
という理念があったとする。

この場合、
地域リハビリテーション質と地域リハビリテーションの提供
という二つのキーワードからアウトカムを設定しなければならない。

地域リハビリテーションの質としては
再入院率
在宅復帰率
活動と参加
重症度改善率
など・・・

地域リハビリテーションの提供としては
地域連携の実績
急性増悪時の介入
訪問リハビリテーションの実績
訪問リハビリテーションの提供エリア
家屋調査の件数
など・・・

のアウトカムが考えられる。

すなわち、逆説的に考えると、アウトカムなき理念は存在しないということである。

理念を熱く語ろうともアウトカムの追求がなければ、その姿勢は虚構である。

理念がないのは論外
理念があっても、アウトカムがないのも論外

質の高いリハビリテーションを提供するためには、理念とアウトカムは両輪であることを意識したリハビリテーション部門の運営が需要である。

改革を必要する組織では、評論家撲滅運動が必要だ

2016年度診療報酬改定が近づいてきた。
リハビリテーション関連分野でも多くの変更点が生まれそうだ。
単位当たりの点数ではなく、より病棟や地域との連携、リハビリテーション対象者の選別などの包括的な取り組みが必要とされており、リハビリテーション部門には変化が求められる。

このような外部変化が激しい時、組織には改革が求められる。
組織を改革するためには、多くの調整事項が必要であり、人間関係にもひびが入ることがある。
しかし、大義はがある限り、組織は変わらなくてはならない。
懸命な経営者や管理職であれば、常に組織の改革を怠らない。

しかし、組織を改革するときにかならず現れるモンスターがいる。
それは・・・評論家である。
タチが悪いのは、評論家の人は「評論すること」が、リーダーシップだと勘違いしていること。

経済状況が良い時代では、「評論家」でもそれなりに意味があったのかもしれない。
しかし、今のような不確実な時代では、物事を具体的に動かしていく人しか、リーダーにはなれない。リーダー自らが、自立と自律を兼ね揃えた「実践家」でなければ、この難局は乗り切れない。

評論家は自らリスクテイクをしないため、非常に低次元の目標設定しか行えない。
そのような人は、改革が必要とされる時には不要であり、組織にとって不良債権である。

評論家の存在は組織の平均的な価値観を劣悪化させていく。
腐ったリンゴであることから、経営者や管理者は、常に評論家を監視し、暴走をさせない仕組みを作らねばならない。

リハビリテーション分野などの医療介護分野はパラダイムシフトのど真ん中である。
常日頃からの評論家撲滅運動が将来の経営や運営の安定を保証することになるだろう。

医療機関や介護事業所にとって無駄な研修は山とある

診療報酬改定、介護報酬改定などの環境変化や事業所収益の低下が生じた時に、必ずと言って、取り沙汰されるものとして、「従業員への教育強化」がある。

接遇が悪いので接遇の教育をしよう
リハビリの質が悪いのでリハビリ部門の研修を強化しよう
介護職員の腰痛が多いので、移乗介助の研修をしよう
などが提案され、外部の研修に参加したり、内部より講師を選び研修が行われる。

研修にはコストがかかる。
外部研修では、参加コストや参加している時間の人件費コスト
内部研修では、会場の電気光熱コスト、講師の人件費コスト、参加者の人件費コスト、講師が研修に費やした時間コストなどが生じる
つまり、研修にコストがかかるということは、本来、研修には費用対効果、時間対効果が求められるということである。

費用対効果、時間対効果を別の表現で現すと、投資活動である。
投資とは「将来の資本を増加させるために、現在の資本を投じる活動」である。
つまり、研修を行うことで明確な資本の増加が必要である。
わかりやすく言うと、研修を行うことで、在院日数が低下する、褥瘡発生率が低下する、職員の離職が低下する、在宅復帰率が増加する、日当円が増加する、再入院率が低下する、稼働率が増加するなどの明確な効果が得られる必要がある。

果たして、多くの医療機関や介護事業所にて、行われている教育研修は資本を増加させているのだろうか?

リハビリテーション部門でよくある研修の形態は以下のものである。
1)セラピストが好きな内容の研修に自由に参加している
2)外部の先生を適当に招致して、研修会を開催している
3)セラピストが自主的に勉強会を開催している
4)研修費を支給して、外部の研修に参加させている
などである。

これらは果たして、医療機関や介護事業所の資本増加に寄与するものであるか?
筆者は多くの研修は無駄であると考えている。
投資効果を得るためには、自社の問題点を明確し、自社の理想と現実のギャップを埋める計画を立案し、その計画を実行するという極めて慎重な活動が必要である。

多くのリハビリテーション部門で行われている上記の研修形態は、計画に基づいた慎重な活動ではないし、自社の問題を中心に置いたものでもない。
多くの研修は理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の個人の価値観やスキルを重視したものである。

セラピストや介護職に不足している技術や知識=自社の課題   にはならない

多くの事業所は研修を行うことが目的となっており、投資という本質的な目的を忘却している。
そのため、投資効果の低い研修ばかりを行っている。

企業がコストをかける以上、それは投資である。
研修は、あくまでも企業価値を上げるために存在しているのである。

「難しい」と「不可能」が混同している職場には未来がない

何か、職場で新しいことに挑戦しようとすると「それは難しいなぁ」、「やってもいいけど難しいと思うよ」という言葉が周囲から出てくる。

そして、その「難しい」という言葉は、いつしか、絶対できない、つまり、「不可能」という言葉に置き換わる。

そもそも、業務改善や組織改革は「難しい」ことである。「易しい」ことであれば、誰でもすぐに取り組める。

「難しい」ことであるから、誰も取り組まなかった。そのために、業務は非効率となり、組織風土も悪くなったのである。

「難しい」を連呼する人は、「難しい」という言葉を数多く並べることで、業務改善や組織改革に関する取り組みが不可能であるという印象操作を狙っている。

賢明な人であるならば、「難しい」という言葉を連呼するのではなく、「難しい」という理由を、様々な要素に分けて分析・解説し、その行動の実現可能性について真摯に検討をするものである。

医療・介護業界は度重なる法改正や社会変化により、月単位で様々な業務改善が必要となっている。

しかし、現実的には業務改善や組織改革の取り組めず、経営の危機に陥っている医療機関や介護事業所が少なくない。

「難しい」と連呼することには意味がない。

「難しい」は「不可能」ではない。

「難しい」からこそ、やる意義があるのだ。

It is difficult,maybe. But, not impossible!!

 

将来の希望が持てない医療機関・介護事業所の職場は、いずれ崩壊する

みなさんの職場には将来の希望があるだろうか?
希望とは「将来の明るい見通しを指して用いる言葉」である。
将来の希望の持てない職場は恐ろしい現象が生まれる。

将来の希望が持てない職場では
有能な社員が辞めていく
そして
組織や社会への社会貢献や自身のキャリアアップなどを考えない社畜キャラが残っていく

社畜とは、会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化したサラリーマンの状態を揶揄したものである(ウィキペディア)。

ではなぜ、職場には将来の希望が必要なのだろうか?
それには、動機付け理論の一つである期待理論が関係する。
期待理論とは「どこまで努力をすればよいかが明確になっており、さらに達成した目標の成果が魅力的であれば、モチベーションが高まり、目標達成の可能性が高くなるという理論」である。

現在、医療・介護情勢は混沌としている。
急性期・回復期・生活期のリハビリテーションにおいても、求められる能力や成果が急激に変化している。そのような状況では、医療機関や介護事業所は自社のもつリハビリテーションサービスに関する課題を解決してくれるモチベーションの高い理学療法士、作業療法士、言語聴覚士を必要としている。

しかし、理念の形骸化、人事制度の不備、上司との人間関係の悪さ、組織の風通しの悪さが存在する職場では、「どのような努力をどれぐらいすれば、どれぐらい魅力的な評価や報酬が得られるかが、わからない」ことが多い。

期待理論に従えば、そのような希望の持てない職場では、従業員のモチベーションは向上しない。従業員のモチベーションが上がらなければ、医療機関や介護事業所が抱える経営的課題を解決することができず、最悪、経営が破綻する。

将来の希望の持てる職場を作ることは、まさに管理職の仕事である。

この職場では、このような努力を、これぐらいの量を行い、これぐらいの目標を達成すれば、あなたの人生にとってこれぐらいの成果があるということを部下や同僚に明示することが管理者の仕事である。

そういった導きができない人は、これからの時代の管理者には不適当である。

貴方の職場には将来の希望があるか?
貴方は部下に将来の希望を与えているか?