空気を読めない人は三流・空気を読む人は二流・空気を創る人が一流

職場の意向や指針とは全く異なることを、根回しもなく、突然、言ってしまい全員から総スカンを喰らう人がいる。

職場の意向や指針とは違うことを言うことは、悪いことではない。

適切なタイミングで、適切な場所で、建設的な意見を言うことができれば、総スカンを食らうことはない。

しかし、空気を読めない人は、不適切なタイミングで、不適切な場所で、不適切な意見を言ってしまう。

日本の職場では、空気を読むことが美徳されている。

筆者は、空気を読むを、「その場の雰囲気から状況を予測し、自分がするべきことやしないこと、あるいは相手に求めることや求めないことを決定していく思考過程」と定義している。

この能力は重要である。

職場のミッション遂行を支えるために、従業員は存在する。

よって、従業員の空気を読む力というのは、重要な経営資源である。

しかし、空気を読む力に長けた職員がばかりが増えるのは、実はよくない。

空気を読む力は、組織の具体的な報告性が示されている時には大きな力を発揮するが、経営状態が悪化した時や、組織の方針が揺らいでいるときには、状況を打開する力を持たない。

このような時には、空気を創る人材が必要である。

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自分の意見や考えを周囲に伝えたり、明るい挨拶や素晴らしい接遇をしたり、前向きな発言をすることで、新たな空気を創ることができる。

特に、経営状態が低迷している、組織改革が必要な状況、大きな課題が山積している状況の職場では、空気を読む人より空気を創る人材が求められる。

空気を読めない人は三流
空気を読む人は二流
空気を創る人が一流

あなたはどの人材であるか?

 

医療チームはあるが、チーム医療はない日本の医療機関

日本には医療チームは沢山あるが、チーム医療の実践は乏しい。

これは、医療マネジメントの世界ではよく聞かれる言葉である。

NSTチーム・呼吸ケアチーム・褥瘡対策チーム・感染対策チーム・医療安全チーム・退院調整チームなど・・・・・多くの「チーム」が医療機関には存在している。

医療チームの目的は、チーム医療を行うことである。

しかし、実際は、チームの活動が形骸化しているケースが多い。

医師が参加しない、形だけの集まりで何も決まらない、何らかの活動は行うが、その反省や振り返りはしない、形式的に書類だけを作って情報を共有するだけ・・・・という状況に陥っている。

多くの医療機関の医療チームは、診療報酬上の規定や病院機能評価機構などの第三者評価に従って、設置しているというのが実情であろう。

では、なぜチーム医療の実践が難しいのだろうか?

筆者は2つの大きな問題があると考える。

一つ目の問題は、医局・看護部・リハビリテーション部・薬剤部・検査部・事務部などのパワーバランスが偏在しており、お互いの部門が相互依存の関係になっていないことである。

一般的には、医局・看護部のパワーが強く、リハビリテーション部や検査部などのチーム医療への参画が阻害されているケースが多い。

医局・看護部のパワーが強いことは、裏を返せばリハビリテーション部や検査部が院内での立ち位置を十分に獲得できてないということである。

二つ目の問題は、医師・看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・薬剤師・管理栄養士などの専門職が各専門職間で共有できる知識や経験を持ち合わせていないため、チーム医療遂行のための共通言語が乏しいということである。

各専門職の専門用語や診療に対する思想の違いが、チーム医療を阻害している。

例えば、看護師の考えるリスク管理と理学療法士の考えるリスク管理は思想レベルで異なることが多い。

看護師はより病状の改善に資するリスク管理を目指すが、理学療法士はより廃用症候群を防止するリスク管理を目指す傾向がある。

こういった思想の違いは、お互いの職種間の情報連携を阻害する要因になる。
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以上のことから、
チーム医療を実践するためには、お互いの仕事の内容を知ることが重要であると言える。

病院の在院日数短縮や医療の在宅シフトが進む昨今、各専門職の連携はますます重要となる。

このような時代では、お互いの職種の仕事や知識について理解したハイブリッドな医療・介護従事者が活躍することは間違いない。

劣化したセラピストを生み続ける理念・基本方針軽視のブラック法人は社会悪でしかない

皆さんの医療機関や介護事業所に勤務するセラピストは、貴社の理念に共感しているだろうか?

勤務しているセラピストの何%が法人やリハビリテーション部門の理念や行動方針を諳(そら)んじられるだろうか?

そもそも、理念や行動方針が明確でない法人や部門さえ存在している。

そして、多くのセラピストは理念や基本方針なんかに興味はない。

理念や行動方針を常に意識しながらサービスを提供しているセラピストは全国的にみれば、絶滅危惧種の数程度であろう。

大勢のセラピストは、理念や行動指針よりも、はるかに自分の理学療法、作業療法、言語聴覚療法、あるいは労働条件やプライベートな時間に興味がある。
理念や行動方針に共鳴していないセラピストにとって、働く場所はどこでもよい。

面接時に、「貴社の理念や基本方針に興味があり、入職を希望します」と述べていても、入職後、理念や方針に対して質問をしてくる事例などほとんどない。

セラピストの社会貢献や給料をもらうことへの知性のなさも問題であるが、それ以上に問題であるのは、理念や基本方針について従業員であるセラピストに教育できない医療機関や介護事業所である。

資格を持っていれば誰でも良い
ワークライフバランスの意味も分からずに、ワークライフバランスを提唱する
稼ぐためなら、法人に魂を売れるセラピストを採用する

こういった法人が存在するのも事実である。

まさに、理念・基本方針軽視のブラック法人と言える。

医療・介護分野では2025年以降の高齢者増大の時代に向けて、国を挙げて対応している。

劣化したセラピストを生み続ける理念・基本方針軽視のブラック法人は社会悪でしかない。

アウトカムなき理念は虚構である

世の中のリハビリテーション部門には理念というものが設定されていることが多い。
理念が存在する理由は各リハビリテーション部門で異なる。
1)リハビリテーションの質を上げるために、理念を設定した
2)病院がISOや病院機能評価を受けるので、理念が必要となった
3)院長や事務長から理念を作れと言われたので作った
4)誰が作ったかわからない理念が昔からある

理念が設定された意図は各リハビリテーション部門でも様々である。
2)3)4)の理由で存在している理念は、理念としての機能はなく、理念の存在意義が失われている。

本来、理念は1)を動機付けとして設定されなければならない
理念はリハビリテーションの質を上げるためのガイドラインを示したものであり、組織やセラピストの行動指針を示すものである。

しかし、リハビリテーションの質の向上を目指した理念であっても、理念の機能が不十分になっているリハビリテーション部門が多い。

理念が理念としての機能しているかを検証するためには、理念のアウトカム設定が必要となってくる。

例えば
質の高い地域リハビリテーションを提供する
という理念があったとする。

この場合、
地域リハビリテーション質と地域リハビリテーションの提供
という二つのキーワードからアウトカムを設定しなければならない。

地域リハビリテーションの質としては
再入院率
在宅復帰率
活動と参加
重症度改善率
など・・・

地域リハビリテーションの提供としては
地域連携の実績
急性増悪時の介入
訪問リハビリテーションの実績
訪問リハビリテーションの提供エリア
家屋調査の件数
など・・・

のアウトカムが考えられる。

すなわち、逆説的に考えると、アウトカムなき理念は存在しないということである。

理念を熱く語ろうともアウトカムの追求がなければ、その姿勢は虚構である。

理念がないのは論外
理念があっても、アウトカムがないのも論外

質の高いリハビリテーションを提供するためには、理念とアウトカムは両輪であることを意識したリハビリテーション部門の運営が需要である。

改革を必要する組織では、評論家撲滅運動が必要だ

2016年度診療報酬改定が近づいてきた。
リハビリテーション関連分野でも多くの変更点が生まれそうだ。
単位当たりの点数ではなく、より病棟や地域との連携、リハビリテーション対象者の選別などの包括的な取り組みが必要とされており、リハビリテーション部門には変化が求められる。

このような外部変化が激しい時、組織には改革が求められる。
組織を改革するためには、多くの調整事項が必要であり、人間関係にもひびが入ることがある。
しかし、大義はがある限り、組織は変わらなくてはならない。
懸命な経営者や管理職であれば、常に組織の改革を怠らない。

しかし、組織を改革するときにかならず現れるモンスターがいる。
それは・・・評論家である。
タチが悪いのは、評論家の人は「評論すること」が、リーダーシップだと勘違いしていること。

経済状況が良い時代では、「評論家」でもそれなりに意味があったのかもしれない。
しかし、今のような不確実な時代では、物事を具体的に動かしていく人しか、リーダーにはなれない。リーダー自らが、自立と自律を兼ね揃えた「実践家」でなければ、この難局は乗り切れない。

評論家は自らリスクテイクをしないため、非常に低次元の目標設定しか行えない。
そのような人は、改革が必要とされる時には不要であり、組織にとって不良債権である。

評論家の存在は組織の平均的な価値観を劣悪化させていく。
腐ったリンゴであることから、経営者や管理者は、常に評論家を監視し、暴走をさせない仕組みを作らねばならない。

リハビリテーション分野などの医療介護分野はパラダイムシフトのど真ん中である。
常日頃からの評論家撲滅運動が将来の経営や運営の安定を保証することになるだろう。