理念や信念を共有していない知人や友人を10000人持つよりか、理念や信念を共有し、共通の目的に向かって走れる盟友を1名持つ方が遥かに意味がある

孤独になるのが怖い

他人と同じ状況に安堵感を感じる

飲み会に誘われないと不安である

知り合いというレベルで仲良くなった気がする

このような心理状態になる人が周りにはいないだろうか?

このような人は、人間関係条件のハードルが低いと言える。

志や理念を共有してなくても、ただ、知り合いというだけで仲良くなった気になり、ともに食事をしたり、時間を過ごすこと出来る人たちである。

しかし、その友達がビジネスのパートナーや将来の盟友になることはなく、一瞬の知り合いで終わることが殆どである。

人と違ったことをすることに対する怖さや恐れを感じている人は、常に自己保身を前提にした行動パターンを取る。

その結果、自分の所属しているコミュニティから、異端扱いされず、受け入れられることで心理的な安定を図る。

そのため、安易な人間関係を構築することに腐心する傾向が強い。

しかし、このような特徴を持つ人は自分の人生を自分でコントロールことが難しい。

なぜならば、人間関係を広げれば広げるほど、多様な価値観が広がり、他者からの目が気になるからだ。

理念や信念を共有していない知人や友人を10000人持つよりか、理念や信念を共有し、共通の目的に向かって走れる盟友を1名持つ方が遥かに意味がある。

Facebookなどでやたらめった人脈の豊富さをアピールする人がいるが、実はその人は人間関係地獄にはまっている。

他人の目が気になり、何もできない状況を加速させているだけだ。

また、自分自身をアピールせず、人脈の豊富さをアピールしている時点で社会人としては二流である。

読者の皆さん、人間関係をどんどん整理していきましょう、どんどん人間関係を断っていきましょう!

人間関係は創るだけでなく、断つことも社会人には必要なスキルだ。

インターネットやSNSが発達したこの世の中においても、どんな仕事しているか?どんな能力をもっているか?が不明なセラピストが社会で活躍する可能性はとてつもなく低い件

この分野で将来働きたいです。

いつしか、セラピストとして輝いて仕事をしたいです。

将来、〇〇さんと同じような仕事がしたいです。

と、希望や願望は語るが、情報発信を一切していないセラピストは非常に多い。

このようなセラピストには

希望や願望 - 現実の行動 =言動不一致の二枚舌

という方程式が成り立つ。

情報発信をしないということは、社会からの評価を受けないことを決断している行為である。

ましてや、今はインターネットやSNSの隆盛期。

個人であっても、極めてローコストで大企業と並んで情報発信ができる時代である。

すなわち、情報発信の手法の障壁が、情報発信ができない理由にはならない。

現代の世の中では、社会や組織における問題解決の方法を探る方法としてインターネットの検索サイトを用いて問題解決の手法を知っている人を探すことが一般的である。

したがって、インターネットは問題を解決してくれる人材オークションの側面を持つと言える。

例えば、認知症領域で活躍したいと考えているセラピストがいたとする。

そのセラピストの居住地近辺の名前、認知症、リハビリテーション の3つのキーワードで検索したとする。

例 〇〇県 認知症 リハビリテーション

しかし、そのセラピストの氏名が上位検索で出てこなければ、市場では全くそのセラピストを評価していないと言うことになる

特にグーグル検索のアルゴリズムは、正確で、重要な情報を上位検索として表示するようになっていることから、その検索で氏名が抽出されないことは極めて深刻な事態と考えて良い。

希望や願望はあるが、情報発信はしないという二枚舌は、見事に社会から評価されない。

希望や願望を語るなら、舌は一枚にしてほしいものである。

 

 

上司や会社の文句を言いまくるが、その職場に居続けるセラピストは不満を言っている自分が大好きである

常に上司や会社の不満を言っているセラピストがいる。

上司は何もわかっていない

経営者はお金のことしか考えていない

俺の技術がわからない上司はだめだ

と不満を言わせたら一流のセラピストがいる。

そして、そのセラピストは後輩に対しては自己顕示欲が強く、俺が一番優秀であると言う態度を示す。

高圧的な態度で後輩を支配し、後輩から常におだてられることで精神的な満足を得ている。

組織に対して不満を言う英雄

部下からはその姿勢をおだてられる

そんな勘違いが屈折した精神的な満足感を生じさせる。

満足感があるものだから、その職場を辞めることはなしない。

でも、会社や上司に対して不満があるから出世してもせいぜい中間管理職が良いところである。

このようなセラピストであってもセラピスト希少時代には生き残ることができた。

しかし、これからはセラピスト過剰供給時代である。

まともな社会性を持たず、自分自身のキャリア・デザインも描くことのできないセラピストは会社からレッドカードを渡される。

逆に、このようなセラピストを雇い続けている医療機関や介護事業所はマネジメントが破綻しており、そこのマネージャーや管理者の職務放棄をしていると言って良いだろう。

職場の不満を言いまくっているが、職場を辞めないセラピストはあなたの周りにいませんか?

もし、いれば、職場の超危険レベルのサインと考えるべきだ。

会社や上司の不満を言って退職なり、上司への上申なり行動する人間の方がまだ評価できる。

職場に居ずわり、不満を言い散らす行動ははっきり言って社会悪である。

 

通所リハビリ・訪問リハビリを直撃する大激震から目を背けている経営者や管理者が多すぎる件

2018年度介護報酬改定の全容がほぼ明らかなった。

通所リハビリ・訪問リハビリは医師の関与や要支援者の評価などが追加され、通所リハビリ・訪問リハビリの経営や運営は新次元に移行した。

疾患別リハビリにおける維持期リハビリが近々終了することや後期高齢者が爆発的に増加することを考えると通所リハビリ・訪問リハビリの存在意義は大きい。

しかし、通所リハビリ・訪問リハビリをサイドビジネス的に行っている医療機関も多く、経営や運営をセラピストに完全に丸投げしている院長や事務長は多い。

医師が診察をしない、利用者の顔も知らないのは珍しいことではないし、どのようなリハビリテーションを行っているかなど知るよしもない。

このようなことを厚生労働省は十分に把握している。

だから、今回の改定で医師の関与を強く求めたのだ。

しかし、医師の関与や通所リハビリ・訪問リハビリのマネジメント強化を直視できない医師や事務長、経営者は相当多い・・・・。

訪問看護ステーションからの訪問リハビリ抑制や重度化推進
老人保健施設に在宅復帰等の機能を強化したスーパー老人保健施設が新設
回復期リハビリ病棟の7段階評価
などなど・・・大激震が連発している業界である。

断言できる。

通所リハビリ・訪問リハビリには近い将来、事業所の存続を左右する決定的な制度変更が行われるだろう。

今回の改定内容に積極的に対応しない通所リハビリ・訪問リハビリは必ず淘汰される。

老人保健施設や回復期リハビリ病棟の歴史をみれば一目瞭然である。

現実に目を背けてはいけない。

今なら、まだ間に合う。

心身機能が診れないセラピストが熱心に活動と参加に取り組むのは利用者・家族にとって迷惑な話である

2015年介護報酬改定にて活動と参加が強く推進されて以来、リハビリテーション業界には大きな誤りが生まれている。

その誤りを積極的に広めようとするセラピストも存在し、医療と介護の現場で大きな困惑が生じている。

心身機能・活動・参加

この3つが重要なことには異論はない。

リハビリテーションが全人間的復権を目指すのであれば、心身機能・活動・参加が十分に配慮されたリハビリテーションの提供が必要である。

リハビリテーションの専門職として国家より免許を付与されている理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は心身機能・活動・参加のプロである。

しかし、2015年介護報酬以来、心身機能を十分に評価せずあるいは、評価できず、利用者の心身機能の予後予測を明示することなく活動・参加を強く主張するセラピストが増えた。

筆者のクライアントである医療機関や介護事業所にも、鬼の首を取ったかのように活動・参加を主張する人がいる。

筆者がその人たちの症例検討や症例指導に関わると、心身機能の予後予測が全くできていない、動作分析状の問題点を把握できていないことが目立つ。

そのような状況で、車椅子や補装具での外出、手すりを付ける、難易度を落とした家庭内役割を推奨するなどのハンズオフなリハビリテーションを提供している。

しかし、私がハンズオン評価をしてみると、廃用症候群による筋力低下が顕著であり、正しいADL練習ををすることで車椅子から離脱できる可能性が極めて高い方や歩行能力の改善の余地が残されており、歩行能力が向上すれば手すりが不要となる方が沢山いる。

もちろん、中には心身機能は十分に高まっているが、自己効力感の喪失や他者への依存が強く活動・参加が低下している事例もある。

このような事例の場合は、多職種協働による活動・参加への支援が必要である。

しかし、各種調査より、麻痺を治したい、歩けるようになりたい、立てるようになりたいという心身機能改善のニーズを持つ人は活動・参加を望む人より遥かに多い。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は医学的知識を持つリハビリテーション専門職である。

心身機能への予後予測や介入をせずに、活動・参加を訴えることは、国家資格者としての責務や利用者・家族のニーズも放棄していると言っても過言ではない。

誤解を招く可能性があるため、言っておくが活動・参加は当然重要である。

活動・参加に資する心身機能の予後予測と介入、あるいは活動・参加を通じての心身機能の改善ができなければセラピストして不完全である。

いずれにしても、心身機能が診れないことには話にならない。

活動・参加を適切に実践するには心身機能に対する深い造詣が必須である。

それでは、活動・参加を強く訴える人は心身機能に対して深い造形があると言えるのだろうか?

活動・参加の本質を考えずに主張するセラピストはリハビリテーション業界の課題である。