同質な人とばかり群れると、キャリアは劣化する

いつもと同じ仲間で
いつもと同じ場所で
いつもと同じ話題で
いつもと同じ結論で
盛り上がっている人は多くないだろうか?

医療機関や介護事業所で長年勤めていると、部門外や社外の人と付き合うことが減ってくる。

特に、医療・介護従事者は閉鎖的な人も多く、自分の専門性に酔っている人が多いため、自分を認めてくれる同質な人が好きである。

よって、自分と同質な人達との付き合いが多くなり、新しい友人や知人が増えていかない傾向がある。

しかし、このような生活をしていると、自分の生きる世界は一向に広がらない。

広がるどころか、逆にどんどん狭くなってくる。

同質ではない人たちと付き合うことのメリットはどのようなものか?

年齢・性別・立場・所属・国が違う人たちと接すると、彼らは価値観もばらばらであることから、自分の価値観とのギャップを確認することができる。

そのギャップから、自分の立ち位置やアイデンティティーを確認することができる。

自分の見ている世界なんて、ほんのちっぽけなもので、自分が知らない世界が広大に広がっていることを知ることができる。

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環境変化の激しい今日においては、今の交流関係や肩書にこだわることは、負の要素が多い。

しかし、今の交流関係や肩書に守るためには、他人と迎合するを選択する人が多い。

社長に迎合
組織に迎合
上司に迎合
同僚に迎合
外部に迎合

迎合は、一時的な心理的安定は生むが、将来的には環境の奴隷を生む。

自分とは同質な人ばかりに回りを囲まれているとしたら、それは、はっきり言ってよくない。

今からでも遅くない。

新しい友人・知人を今すぐに作ることをお勧めする。

キャリア・ハイを目指すには会社や部門より求められる以上の仕事をする必要がある

今の職場で認められるためには、会社や部門より求められる以上の仕事をする必要がある。

求められている仕事は、お給料をもらうためにしなければならない最低限の義務である。

求められている以上の仕事をして初めて、「仕事ができる人」として認識される。

新しいプロジェクトや組織改革について、率先して理解し、協力する姿勢を持っていれば自ずと、仕事の内容が「最低限の仕事」から「最高点を目指す仕事」に変化していくだろう。

経営環境が厳しい今の医療・介護業界では、有能な人材はすぐに目立つ

有能な人材と認知されれば、あなたが想像している以上に付加価値の高い仕事が舞い込んでくる。

付加価値の高い仕事は、新しい経験や知識を学ぶチャンスでもあり、かつ、処遇も向上する可能性が高い。

介護報酬改定・診療報酬改定により、介護事業所や医療機関では短いスパンで様々なとプロジェクトや新規事業が行われる。

そのような新しい取り組みに対して、傍観者のような態度しかとれない人材は、職場で認められる人材には、決してならない。

傍観者への評価は厳しい。

傍観者は新しいプロジェクトや新規事業に対して行動を起こさずに、批判ばかりを繰り返す「社内評論家」と認識される。

また、傍観者は、自ら建設的な意見をもっておらず、ただ単純に、仕事環境の変化を嫌がっているだけの、「保身者」として認識される。

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環境変化の激しい時代の医療・介護経営において、「評論家」と「保身者」は最も評価されない人材である。

今の時代に働く医師・看護師・理学療法士・作業療法士などの医療従事者にとって、求められる以上の仕事をすることは、キャリア・ハイの必須項目である。

 

医療チームはあるが、チーム医療はない日本の医療機関

日本には医療チームは沢山あるが、チーム医療の実践は乏しい。

これは、医療マネジメントの世界ではよく聞かれる言葉である。

NSTチーム・呼吸ケアチーム・褥瘡対策チーム・感染対策チーム・医療安全チーム・退院調整チームなど・・・・・多くの「チーム」が医療機関には存在している。

医療チームの目的は、チーム医療を行うことである。

しかし、実際は、チームの活動が形骸化しているケースが多い。

医師が参加しない、形だけの集まりで何も決まらない、何らかの活動は行うが、その反省や振り返りはしない、形式的に書類だけを作って情報を共有するだけ・・・・という状況に陥っている。

多くの医療機関の医療チームは、診療報酬上の規定や病院機能評価機構などの第三者評価に従って、設置しているというのが実情であろう。

では、なぜチーム医療の実践が難しいのだろうか?

筆者は2つの大きな問題があると考える。

一つ目の問題は、医局・看護部・リハビリテーション部・薬剤部・検査部・事務部などのパワーバランスが偏在しており、お互いの部門が相互依存の関係になっていないことである。

一般的には、医局・看護部のパワーが強く、リハビリテーション部や検査部などのチーム医療への参画が阻害されているケースが多い。

医局・看護部のパワーが強いことは、裏を返せばリハビリテーション部や検査部が院内での立ち位置を十分に獲得できてないということである。

二つ目の問題は、医師・看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・薬剤師・管理栄養士などの専門職が各専門職間で共有できる知識や経験を持ち合わせていないため、チーム医療遂行のための共通言語が乏しいということである。

各専門職の専門用語や診療に対する思想の違いが、チーム医療を阻害している。

例えば、看護師の考えるリスク管理と理学療法士の考えるリスク管理は思想レベルで異なることが多い。

看護師はより病状の改善に資するリスク管理を目指すが、理学療法士はより廃用症候群を防止するリスク管理を目指す傾向がある。

こういった思想の違いは、お互いの職種間の情報連携を阻害する要因になる。
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以上のことから、
チーム医療を実践するためには、お互いの仕事の内容を知ることが重要であると言える。

病院の在院日数短縮や医療の在宅シフトが進む昨今、各専門職の連携はますます重要となる。

このような時代では、お互いの職種の仕事や知識について理解したハイブリッドな医療・介護従事者が活躍することは間違いない。

付き合う人でキャリアは変わる

自分より能力の高い人と交流が少ない人は多い。

正確に言うと、自分より能力が高い人との交流がしたくない人が多い。

なぜならば、
自分より能力の高い人と交流すれば、その人との能力の差を感じ、その能力の差が、自分自身を傷つけることになるからだ。

よって、傷つくことを恐れて、自分より能力の低い人との交流を選ぶ人が多い。

自分より能力の低い人と交流すれば、自分が傷つくことはないし、時に、相手から認められ、優越感を感じることもある。

しかし、そのような環境に身を置くと、将来のキャリアにおいて取り返しのつかない事態を招く。

これからの社会においては、自分の能力を高めていくことは、益々、重要となってくる。

日本の終身雇用制は完全に崩壊しており、働く人の価値の高低が雇用の有無を決める最大の条件となってきた。

しかし、看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・医師・薬剤師等の医療従事者は、自分が提供できる価値よりも、国家資格を振りかざして働いている人が多い。

そのような人は、資格に依存したキャリアを歩んでいる。

もし、近い将来、資格だけでなく、その人の価値に重きが置かれる時代になったとすれば、資格を振りかざした人たちは労働市場から総スカンを喰らうだろう。

たしかに、自分より能力の低い人たちと交流を持つことは、精神的には楽である。

しかし、そのようなことをしていると、全く自分の能力の棚卸ができず、能力の向上に必要な「能力の現状把握」が困難となる。

最も悲惨な状況は、自分の現状把握もできていないことに加えて、「自分はしっかりと価値提供ができている」と勘違いしまうことである。

これは、自分の能力の比較対象が自分より能力の低い人となっているために、生じる現象である。

自分の能力を伸ばしていくための、比較対象は、「自分より能力の高い人」や、「昨日までの自分」でなければならない。

付き合う人で人生は変わる。

キャリア開発をする上で、付き合う人は極めて重要である。

 

 

 

 

PT・OT・STの古典的ロールモデルは、すでに崩壊した

2025年問題が医療・介護業界に様々な風を流している。

ネガティブな風もあれば、ポジティブな風もある。

このような風が吹く中、今日の我が国のセラピスト業界におけるキャリア開発上の大きな問題点として、「ロールモデルの不明瞭」が顕在化している。

皆さんは、現在の
理学療法士のロールモデル
作業療法士のロールモデル
言語聴覚士のロールモデル
をそれぞれ答えることができるだろうか?

20年ぐらい前までなら
卓越したテクニックを持つ技師や養成校の教員がロールモデルとして存在していた。

確かに、当時のロールモデルは、セラピストが憧れる技術や知識を有しており、かつ経済的にも成功していた。

しかし、今はどうだろうか?

誤解を恐れずに言うと、
今の時代、卓越したテクニックを持つ技師や養成校の教員に強い訴求力があるだろうか?

時代は変わった。

社会保障費は圧縮され、セラピストの給料は減り、地域包括ケアシステムが推進される。
養成校は乱立し、学生の偏差値も拡大している。
急性期病床は削減され、慢性期や在宅医療が推進される。
働く人間の価値観も多様化を極め、ダイバーシティーも進んでいる。

これらの変化に伴い、セラピストのロールモデルが不明確になっている。

もはや、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の古典的なロールモデルはもはや崩壊しているといっても過言ではない。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士の市場における役割も激変している。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士への期待や市場価値が拡大している。

この拡大は、古典的なロールモデルをより不明確にしている。

ロールモデルが不明瞭な時代では
自分自身の価値観や社会が求める能力を反映したロールモデルに一歩でも近づいていくために、理学療法士・作業療法士・言語聴覚士が自らのキャリアを自主的に開発していく必要がある。

このような時代では、自主的にキャリア開発を行う価値観やモチベーションがないセラピストは、時代の流れに逆行したロールモデルを追及したり、あるいは、ロールモデルの追求自体を止めてしまい、社会的な価値の低いセラピストになってしまう可能性がある。

2025年問題は、言い換えると、2025年セラピスト問題である。