マニュアル本に記載さている知識を軽視しているセラピストは療法もどきしか展開できない

臨床において最も重要な能力は「想像力」である。

なぜ、こんな現象が起きているのだろうか?
このような事をしたら、どうなるのだろうか?
この現象の原因はここではないだろうか?

常に仮説を立てて、その仮説が正しいかどうかの検証を繰り返す能力が臨床では求められる。

そして、「想像力」の源泉は、「基礎的な能力」である。

さらに、基礎的な能力は 「知識」×「経験」 により開発される。

言い換えれば、いくら経験があっても知識がなければ基礎的な能力は開発されない。

教科書や参考書に記載されている知識というのは、全くの素人を短時間で一定レベルの専門家にする代物である。

知識というのは、知っているか、知っていないかという両極端な性質を持つ。

したがって、知識がなければ、いくら想像したところで仮説は生まれてこない。

その知識を臨床の中で試行錯誤しながら用いることで、様々な仮説検証を展開できる。

よって、いくら経験があっても、知識がなければ仮説検証ができず、「理学療法もどき」「作業療法もどき」「言語聴覚療法もどき」しか展開できないことになる。

®‘ÌŽt—«

今の時代、マニュアル教育が軽視されている。

マニュアルを知っていても、実践では使えないと平気で言う管理職さえもいる。

しかし、マニュアルに書かれていることさえも理解できずにどうやって臨床を展開できるだろうか?

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士にとって、解剖学、病理学、運動学、生理学などのテキストは重要なマニュアルである。

マニュアルさえも理解できずに、難しい手技や理論を他者から教授されても全く持って理解できない。

むしろ、多くの患者はマニュアルに書かれていることだけで多くのことが解決できる。

エビデンスに基づく医療が叫ばれて久しいが、エビデンスとは最新の理論や論文に記載されていることだけではない。

すでに証明されて、教科書やマニュアルに載っていることを使いこなすこともエビデンスに基づく医療である。

マニュアルを軽視しては、いけない。

やりたいことがあるセラピストはマイノリティーである

キャリアデザイン研修やリハビリテーション部門のコンサルティングをしていると以下のような質問をよく受ける。

「やりたいことが見つからないので困っています、どうしたらいいのでしょうか?」
「うちの職員は将来の目標がなく、漫然と臨床をしています。どのように教育したら良いのでしょうか?」
「目標管理における目標設定が低くて困っています」

つまり、目標設定とか、やりたいこと・・・これらを明確にした上で、仕事をしてほしいと管理職は切望している。

しかし、今のご時世、やりたいことや人生の目標があるセラピストはマイノリティーである。

そもそも、日本は世界最強の先進国であり、物質的には十分に満たされている。

その上、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士は国家資格であり、職場を選ばなければ就職率100%である。

しかも、セラピストとしての能力が低くても就職できるという公務員以上に、市場の競争から守られている特殊な仕事である。

そんな世界で生きているセラピストにやりたいことや目標があるほうが珍しいと考える方が賢明である。

そんなセラピストをどのように導いでいけばよいのだろうか?

そのようなセラピストには、「ロールモデル」の提示が最も有効である。

今日は、病床削減、地域包括ケア、在宅シフト、EBM思考、ロボット活用・・・などリハビリテーションに関する価値観が多様になっている。

また、インターネット世代の若いセラピストほど、多くの情報に触れており、膨大な選択肢から何かを選択することが苦手である。

よって、リハビリテーション部門や介護事業所は、どのようなセラピストになってほしいかというリアルなロールモデルを提示しなければ、セラピストが自ら目標を想起することは困難である。

®‘ÌŽt—«

このようなことをこのようなレベルでできるようになる
接遇はこの程度のレベルになる
書類作成はこの程度の水準はできるようになる
歩行介助は○○さんと同じぐらいのレベルになる
リスク管理に関するテストで80点以上を獲得する
カンファレンスでは○○さんのように発言する

など、より具体的に求める人物像を示すことが重要である。

そもそも、やりたいことや目標設定ができる人で組織が構成されていれば、人材教育など不要である。

目標設定を本人に任せていると言えば、聞こえは良いがそれはただの人材教育の丸投げである。

「やりたいことがあるセラピストはマイノリティーである」という認識が人材育成の基本である。

キラーコンテンツを持たないセラピストは過剰供給時代に飲み込まれていく

療法士過剰供給時代が到来することは明白である。

本ブログでも、療法士過剰供給時代に対する心構えやセルフマーケティングについて幾度か述べてきた。

今回は、キラーコンテンツの重要性について述べたい。

キラーコンテンツとは
「圧倒的な魅力を持った情報・サービス・製品」
を示す。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士はそれぞれ理学療法・作業療法・言語聴覚療法という技術をもつ専門職である。

しかし、養成校を卒業し、数年間臨床を経験しただけでは専門性は身につかない。

確かに、数年間臨床経験を積めば、難易度の低いリハビリテーションの評価や運動療法、治療などは展開できるが、医学に難しい症例への治療やチーム医療や地域連携等のリハビリテーションに関する支援を展開する技術の取得は容易ではない。

養成校教育や卒後教育において、専門性への教育支援が圧倒的に不足しているため、専門性の高いセラピストの育成は遅れている。

しかし、社会情勢は刻々と変化しており、リハビリテーションに求められる専門性は多様化を極めている。

リハビリテーションの専門性の多様化は進んでいるものの、セラピストの専門性を向上させる取り組みは乏しいの現状である。

だが、視点を変えれば、今の社会情勢において、尖がった専門性を持つことさえできれば、労働市場においてセラピストとして注目がされやすい状況であるともいえる。

853a89ff5c8ce33f7c8832da89a02094_s

そして、その専門性が、社会や組織に貢献するものであればあるほど、キラーコンテンツとして存在することができる。

キラーコンテンツはセラピストとしての価値を高め、セルフマーケティングやセルフブランディングを行う上で大きな力となる。

基本的技術のみに終始する自己研鑽からキラーコンテンツの開発への自己研鑽へのシフトが療法士過剰供給時代において重要な要素となる。

皆さんはキラーコンテンツを開発するための自己研鑽はできているだろうか?

まずは、現状の自己研鑽がどのような目的で行っているかについての棚卸を行う必要がある。

2016年4月4日 日本経済新聞報道記事 「過剰なリハビリ削減」から何が見える

2016年4月4日 日本経済新聞にて「過剰なリハビリ削減」という見出しの記事が掲載された。

この記事は、効果の低い回復期リハビリテーション病棟の医療費削減について言及したものだ。

2016年度診療報酬改定では、回復期リハビリテーション病棟の包括化は注目された改定項目の一つであり、多くの医療関係者、とりわけセラピストで知らない人は少ないのではないだろうか。

しかし、日本を代表する経済新聞にて、報道されたことは大きな意味を持つ。

日本経済新聞はご存知の通り、政府系、経済界寄りの新聞であり、特に経済的インパクトの強い内容を報道することで知られている。

今までも、病床規制、調剤問題、混合診療、外国人労働者の問題など、医療に関して様々な問題を提起している。

2015年にも理学療法士の過剰供給問題が同新聞より報道され、リハビリテーション業界では話題となった。

関連記事
2015年9月17日 日本経済新聞報道の「理学療法士の供給過剰問題」の本質を考える

今回、リハビリテーション医療費の削減が、日本経済新聞から報道されたことにより、政財界よりリハビリテーション医療の抑制に関して、強い意見や懸念があると推察される。

つまり、リハビリテーション医療費の問題が、病床規制や薬剤の問題と同等レベルになったといっても過言ではない。

くしくも、2015年度理学療法士国家試験の合格率は74.19%となっており、過去最低となっている。

合格率の低迷は、理学療法士の過剰供給やリハビリテーション医療費削減に対する政府の対策の現れではないかと感じざる得ない。
160fc30aacaeb212a91e18142ac0809d_s
リハビリテーションが網羅する分野は広い。

これからは、医療機関だけでなく、介護保険事業所、行政などが主体となったリハビリテーションサービスが増加していく。

よって、国費の配分は俯瞰的な視点を持って行わなければならない。

そのため、リハビリテーション医療費の削減も経済的視点から見れば正論でもある。

いずれにしても、日本を代表する新聞が、リハビリテーション医療は大きな課題を抱えていることを、国民に報道した事実は大きい。

リハビリテーション医療に関わる人たちは、業界としてこの課題にどのように対処していくかを考えなければならない。

そして、セラピスト一人一人は今後の働き方やキャリアの在り方を真剣に考えなくてはならない時期になったのではないだろうか?

 

nihonkeizaishinbun2016年4月4日 日本経済新聞

仕事では「いい人」と呼ばれて喜んではいけない

医療・介護コンサルタントして仕事をしているとよくこんな場面に出くわす。

私:〇〇さんは、ルールも守れず、また、自主性もないので管理者としては不適切ですね
クライアント:そうなんですよ。問題だらけです。でも、いい人なんですよ。本当に。

こんな会話は多くないだろうか。

いい人なんですよ。 という言葉は、どういう意味を持つのだろうか。

仕事はできないが、いい人なんでそれほど悪い人ではないと言いたいのだろうか。

仕事場では、いい人はいらない。

仕事場では、仕事ができる人が必要であり、いい人はそれほど必要ではない。

大体、仕事ができる人は、「いい人」ではない。

組織や業績のために言わなければならないことが、たとえ、相手の嫌がることであっても、平然と言ってのける人間が仕事では、結果を出す。

5fd3e612e5fd3190f64cbc8a4fddbb28_s

そして、こういう人間は周囲から「きつい人」「怖い人」と言われ、「いい人」とはかけ離れた印象となる。

確かに、20代では「いい人」は評価されるかもしれない。

周囲と調和して、友達も多く、人間関係上の問題も起こさない。

しかし、仕事の結果やチームビルディングが期待される30代、40代で「いい人」は、周囲との人間関係は良好であっても、周囲との軋轢を回避するため、根本的な仕事上の問題点が解決できず、良い結果を残せないことが多い。

仕事では、いい人であることではなく、仕事で良い結果を残すことが求められる。

仕事ができる人になりたければ、「いい人」を卒業しなければならない。

いい人と呼ばれて喜んでいるようでは、だめだ。