医療・介護従事者は自助・互助サービスへの参入を急げ!

医療・介護に費やす国費が高騰していることは周知の事実である。

この問題に対する介入方法は多く提案されているが、とりわけ、今後は「自助」「互助」サービスの導入が加速していく。

国は以下の4つサービスカテゴリーを医療・介護領域に導入したい考えている。

(1)自助とは、他人の力によらず、当事者である自分(本人)の力だけで課題を解決すること。
(2)互助とは、当事者の周囲にいる近しい人が、自身の発意により手をさしのべること
      家族や友人、そしてご近所。これらの方たちが、自発的にかかわること
(3)共助とは、地域や市民レベルでの支え合いのこと
  協同組合などによる事業やボランティア活動などシステム化された支援活動のこと
(4)公助とは、行政による支援のこと
      公的なサービスにより、個人では解決できない生活諸問題に対処すること

現在は、ほとんどの医療介護従事者は共助と公助に携わっている。

つまり、公的医療・介護保険や財源が国から出ている事業に関わっているのが現状である。

政府は、財源が国からではなく、国民から得られる自助と互助の導入を推進している。

例えば、金融庁はこれまで、生命保険に限らず民間保険会社の現物給付は禁止してきが、高齢者向けの商品を充実させたいと要望する保険会社の意向を受け、「保険会社が直接提供しないなら」という条件付きで認める方針である。

つまり、保険請求の条件を満たせば、お金の代わりにサービスを受け取ることができる仕組みが導入されようとしている。

脳卒中になったら、介護保険だけでなく、民間の○○リハビリ保険を利用して、月20回のリハビリテーションサービスを受けることができる という保険商品が近々、登場する可能性が高い。

また、フィットネスクラブや学習塾が高齢者向けの介護予防や健康増進サービスにどんどん参画している。

このような状況で一番取り残されているのは、医療・介護産業で働く看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、介護福祉士などである。

サービスの担い手でありながら、このような時代の流れを知らないのは誠に嘆かわしい状況である。

他の業種に自助・互助のサービスが占有される前に、医療・介護産業従事者はいち早く行動を起こし、事業参入を行うべきである。

 

看護師・療法士の15万人過剰供給時代の働き方設計図

2042年まで続く高齢者数の増加に対して国は地域包括ケアシステムの構築とそれを支える人材の育成を急いでいる。

そのため、看護系大学、セラピスト系大学、専門学校は増加の一途を辿っている。

現在では、入学の倍率が1倍を下回る大学も出現するなど、医療系大学も全入時代を迎えたと言っても良い。

看護師、理学療法士、作業療法士の数も急増しており、2025年には看護師、理学療法士、作業療法士が15万人ほど過剰供給になると言われている。

過剰供給になるということは、病院や介護事業所がパワーを持つ買い手市場になるということであり、賃金の低下は必須である。

また、就職の倍率も高くなり、業界のレッドオーシャン化が加速する。

こういった時代において、看護師、理学療法士、作業療法士どのような働き方があるのだろうか?

競争社会で勝ち抜くためには能力別ピラミッドにおいて上位の二割に食い込む必要がある。

すなわち、極めて優れた専門性を磨くことで競争社会を勝ち抜く手法である。

もう一つの選択肢は、競争しない状況を作ることである。

即ち、競争相手がいないエリアで社会的価値を創出する。

競争相手がいないわけだから、勝ち抜く必要がない。

この両方を選択しない人は

低賃金で働き続ける

他の仕事へ転職する

無職になる

という選択肢がある。

ここで記載した未来は今よりたった10年後の話である。

今のうちに、助走することが有利であることは明らかである。

自分の未来は自分で創る。

自分の決断が未来を創る。

キャリアデザインを決して、他人や社会の責任にしてはいけない。

 

地域包括ケアの前に、事業所包括ケアである

多くの医療・介護事業所において「地域包括ケアに取り組まなければ、利用者が確保できない。他の事業所との連携が大切だ!」と叫ばれている。

医療・介護の連携が叫ばれて久しいが、その連携の実態はうまく進んでいない。

筆者は「そもそも医療・介護事業所内において包括ケアや連携ができていない」ことが、連携や地域包括ケアが進まない最大の原因であると考えている。

特に、現場を省みないトップダウン型の経営者は、現場のケアやリハビリテーションの全体最適には興味を示さないくせに、外部との連携が重要だ!と叫ぶ。

これ最悪。

事業所内の包括ケアが出来ている事業所しか、地域包括ケアの意味が理解できない。

書類や口頭での申し送りや、表面上の会話のオンパレードのカンファレンスやサービス担当者会議が包括ケアではない。

各専門職が利用者の目標達成に向けて、専門性をぶつけ合い、協議の結果出てきた知恵の活用が、包括ケアである。

このような取り組みをしているところは、非常に少ない。

全体の1割もないのでは。

殆どの事業所が地域包括ケアの意味をわかってないのが実情だろう。

自分の働いている事業所の包括ケアが出来ているか?

出来ていなければ、やるべきことは明確である。

自らが動いて、包括ケアのキーパーソンになれば良い。

 

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・看護師・介護福祉士になることは手段であって、目的ではない

理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護師、介護福祉士。

これらはただの資格である。

資格とは、あることを行うためのパスポート。

しかし、パスポートより「あること」の方が、遥かに大切である。

「あること」とは何か?

それは、「自分の人生で何を成し遂げて、何を表現したいのか?」という人生の理念であり目的である。

多くの有資格者は人生の目的が薄れ、手段が目的化している。

漫然と臨床をこなす日々が続いている、給料のために働いている、毎日の充実感が少ない。

この状態に陥っている人は、手段が目的化している。

ヘルスケア産業は大きな多様性を求められる時代なった。

地域包括ケアシステムやセフルメディケーションが当たり前の社会の実現には、多様な人材にの活躍が必要である。。

医療・介護・住まい・生活支援・物販・インフラ・サービス・企業間取引・産官学連携など、多くの分野で多様な人材が求められている。

資格で、自らの視野を狭め、自らの可能性を潰すのではなく、「自分の人生で何を成し遂げて、何を表現したいのか?」という疑問を解決するために「資格」を徹底的に利用することが大切である。

キャリアデザイン=資格 ではない。

資格=人生 ではない。

あなたは、資格に支配されていないか?

今一度、人生の目的を考えて欲しい。

 

 

マネジメントなき医療・介護専門家集団は烏合の衆

医療・介護職の多くは専門家である。

専門家は自身の分野には長けているが、他の分野には長けていない。

多くの医療・介護事業所は専門家を雇用し、専門家の専門家による専門家のための業務を容認している。

この現状を経営者は「権限移譲」という言葉で誤魔化している。

これは「権限移譲」ではなく、ただの「マネジメントの放棄」である。

マネジメントを放棄した組織の典型例は、組織内で何か問題があると「専門家である職員が悪い」という結論が導き出される組織である。

「専門家である職員が悪い」のではなく、「専門家である職員が悪いという結論が、安易に導き出される組織」が悪いのである。

くしくも、時代は地域医療連携、地域包括ケアシステム、ワークライフバランスの時代。

さまざまな組織の経営資源を統合し、有効活用しなければならない時代である。

専門家の能力をどのように組織の価値創造に寄与させるのか?

この命題に立ち向かえる医療・介護事業所だけが2025年以降も生き残ることができる。

医療・介護職や事業所は「情報共有が大切です」と述べることが多いが「理念の共有が大切です」と述べることは少ない。

情報は共有しても実は大して意味がない

その情報をどのように活用するのかについての行動指針となる理念がはるかに大切である。

会議の場で、情報を共有しても反対意見ばかりが飛び交う、否定的な反応が多い、建設的な意見がでないことは多くないだろうか?

これは、情報をどのように活用するかについての理念が理解されていないことが原因である。

規律や自律がなく、「ただ集まっただけの群衆」を烏合の衆と呼ぶ。

皆さんの事業所は理念を共有した組織か?はたまた、ただの烏合の衆か?

診療報酬改定・介護報酬改定・医療制度改革は烏合の衆の大掃除を狙っている。