診療報酬改定雑感:梯子は外されたら、ちゃんと次の梯子が掛けられる。むしろ、次の梯子を登れないことに問題がある。

2016年診療報酬改定の詳細が明らかになった。

多くの医療機関では、当面の期間、今から対応の準備に追われる。

そもそも診療報酬改定とは何を目的にしているのだろうか?

診療報酬改定は経済的な誘導を用いて、国の施策を実現していく手法であると言える。
したがって、時に、「国に梯子を準備され、梯子を上り切ったら、国に梯子を外される」と揶揄されることもしばしばである。

ある診療報酬改定の項目を経済的に誘導し、大勢の医療機関がその項目に取り組むことが実現すると、ある日突然、その項目が外され、医療機関は窮地に陥るというものである。

2000年に新設された回復期リハビリテーション病棟も多くの梯子が準備され、そして、外されていった。
休日リハビリテーション加算・充実加算・体制加算・施設基準の3段階など、様々な梯子が準備され、多くの医療機関がその梯子を登った。

今回、2016年度診療報酬改定でも多くの梯子が外される。

7:1病床の重症度比率と在宅復帰率の厳格化
10:1病床の急性期看護補助体制加算・看護職員夜間配置加算・看護必要度加算の重症度比率の厳格化
療養病棟入院基本料2の入院患者対象者の厳格化
回復期リハビリテーション病棟の一定期間のFIM利得によるアウトカム評価
外来リハビリテーションの介護保険被保険者の減算
などその他にも多くの「梯子外し」が存在している。

確かに、「梯子外し」には多くの医療関係者が違和感を感じる内容も多い。
現場の実情や経済性を考えていないと思われる内容も多々ある。

しかし、
国はただ理不尽なことをしているだけではない。

梯子を外せば、次の梯子を準備する。

多くの医療機関が診療報酬改定の度に経営危機に陥る原因は、次の梯子を登るだけのマーケティングや社内資源の開発を怠っていることである。

マーケティングなどのマネジメントが機能している医療機関が、国の方針が変わっても、常に高い利益率を保っている事例は沢山ある。

梯子が外されたら、次の梯子をすぐに登る。

このような経営姿勢がなければ多くの医療機関は苦境に立たせられる時代である。

組織の改革スピードと国の改革スピードのどちらが早いか。

そういう視点なくして、これからの時代は生き残れない。

 

電話一本もろくにできない医療・介護従事者は、将来の見込みなし

医療機関や介護施設に勤めていると、社内PHSや携帯電話で社内外の方と話すことが多い。
また、目の前の相手が、自分との会話中に、会話が中断して、他人と電話でやり取りをすることも多い。そんな時によく経験することがある。

電話をかけてきた相手が名前を名乗らずに、話続ける
かかってきた電話に態度が悪い
相手が忙しいことを配慮せず、一方的に話を続ける
などなど・・・・。

電話で社内外の人と話すときに、態度が悪い、偉そう、名前を名乗らない、相手の状況に配慮しないレベルの医療・介護関係者は非常に多い。

特に、医師・看護師・理学療法士・薬剤師など専門職の電話対応の悪さは目立つ。

自分より立場が下と判断した相手には、なんとも冷たい対応をすることも多い。

たかが、電話一本で何が問題なんだ?と声が聞こえてきそうだが、それが実が電話一本ですまされる問題ではない。

実は、電話一本からセルフ・マーケティングが始まっている。

どれだけ技術や知識を持っていても
どれだけ学歴や偏差値が高くても
どれだけ貴重な資格を持っていても

電話一本もまともにできなければ、社内外での評価は下がり、潜在的顧客が減少する。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・看護師・医師が社内外で、自身の活躍の場を増やし、給与などの処遇を増やしたい場合、セルフマーケティングを行い、自分自身の価値を社内外で購入してもらう必要がある。

どれだけセルフマーケティングの努力をしていても、態度の悪い電話一本で、セルフマーケティングの努力は吹き飛ぶ。

大体、電話一本も出来ない人間に、チーム医療やチーム介護、ましてや地域包括ケアなど出来るはずもない。

たかが、電話一本

されど、電話一本

である。

 

心身機能を軽視して、偏重的に活動・参加を訴えるセラピストが増えたという事実

2015年度介護報酬改定では、リハビリテーション分野において「心身機能」・「活動」・「参加」の重要性が明示され、通所リハビリテーション・訪問リハビリテーションでは「活動」と「参加」に資する取り組みを評価する介護報酬項目が整備された。

活動・参加の概念は、リハビリテーション本来の意義を問いただすものであり、これからの高齢化社会においては益々重要となる。

しかし、筆者はこの一年間感じてきた違和感がある。

心身機能の評価や介入が未熟なセラピストに限り、「活動」「参加」が重要だと異常に訴える事例が散見することである。

自身の理学療法・作業療法・言語聴覚療法が未熟なことで、患者や利用者の基本動作能力・応用的動作能力・言語聴覚機能が回復しないことに気づいていないセラピストは残念ながら存在する。

そういったセラピストが、十分に患者や利用者の心身機能のポテンシャルを引き出してない中で、「活動」と「参加」に傾注することは、患者や利用者にとって迷惑千万な話ではないか?

セラピストと患者・利用者の間には「情報の非対称性」が存在する。

情報の非対称性とは
保有する情報に差がある時に生まれる不均等な情報構造
の事を言う

つまり、患者や利用者はセラピストより心身機能・活動・参加に関する情報を有していないため、セラピストの言いなりになる傾向がある。

セラピストが、「あなたの心身機能はもうプラトーなので、自宅では歩行器を使って歩きましょう」と説明すると、「心身機能がプラトー」であると判断する情報を患者や利用者は有していないため、セラピストの説明に従う可能性が高い。

しかし、心身機能の評価や介入に長けたセラピストがその患者や利用者を診れば、「十分に自立歩行を目指せる」と評価する可能性もある。

「活動」・「参加」はリハビリテーション上の目標であり、人が自分らしく生きていくために必要な概念である。しかし、心身機能の向上の追求なしに、「活動」「参加」という表面的な概念だけを妄信的に追いかけていくことは、リハビリテーションの概念にも反する。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は、他職種と比較して、医学的側面から心身機能を評価できるアドバンテージを有しており、そのアドバンテージを活かして、「活動」・「参加」を客観的に冷静に評価・介入することが最大の強みである。

心身機能の評価・介入を軽視した「活動」・「参加」への妄信的な取り組みは、視野の狭い「活動」・「参加」偏重主義者であり、決して、患者や利用者のQOLの向上には寄与しないだろう。

心身機能・活動・参加
この概念の全ての要素を限りなく追求する事で本来のリハビリテーションが達成できる。
当然、心身機能だけを追求し、活動・参加を無視することはあってはならない。

dd428b261a0401155665062fc44dbe7c_s

リハビリテーションサービスのインフラが整ってきている時代だからこそ
心身機能が評価できて
活動も評価できて
さらに、参加も評価できる
が当たり前にできるセラピストが真に活躍する時代が近づいているのではないだろうか?

 

GKDKNセラピストが組織を劣化させていく

G:学生に
K:厳しく
D:同僚
K:厳しく
N:ない
セラピストが多すぎる

通称、GKDKNセラピストだ!

みなさんの職場にはいないだろうか?
実習生には厳しく、職場の同僚とは議論できない自称職人肌セラピストが。

理学療法士・作業療法士・言語聴覚士は実習生や後輩には異様に厳しいが、同僚セラピストや先輩セラピスト、医師、看護師とディスカッションできない人間が多い。

資格を取っていない相手や未熟なセラピストには自分の知識を上から目線で披露するが、相手が自分と同じスキル、あるいは他のジャンルの知識を持っていると急にディスカッションができなくなる。

こういう気質の人間は、自分が傷つくことを恐れる保守的な性格を有しているが、一方で、自分は職人であるとアピールすることで、自分の劣等感を隠そうとする。

GKDKNセラピストは、組織力の向上に何の役にも立たない。
ただただ、自分の理学療法、作業療法、言語聴覚療法に陶酔し、自分に惚れることが趣味な人間である。

そんな人間は一人職場に転職するか、合法的な方法で開業して一人で仕事をしてもらう方が良い。

そもそも組織は、理念を実現するために職員の総力を結集することに日々尽力をしている。

組織の中で、学生や後輩に偉そうにしても、何のイノベーションも起こらない。

セラピスト業界も養成校も専門職や他職種同士で議論できる人材の育成をしなければ、セラピストの価値の向上につながらない。

GKDKNセラピストの撲滅運動は、セラピスト業界の使命の一つであるとも言える。

成熟社会では、よりレベル高い理学療法士・作業療法士・言語聴覚士のリハビリテーションサービスが求められる

リハビリテーションとは、全人間的復権である。
その人がその人らしく生きていくことを支えていく概念がリハビリテーションであり、その実現を支援するサービスがリハビリテーションサービスである。

日本は世界に類を見ない先進国であり、物質的な繁栄が著明である。
40年~50年程前の日本は物質的にもまだ、恵まれておらず、国民は国の経済的繁栄こそが幸せであると考え、懸命に働き、今の日本を作った。
先人たちの尋常ではない努力で、日本は小さい島国ながらも世界第三位の経済大国となり、国民の生活レベルも極め高い国となった。
国民の衣食住がこれだけ充実している国は実は世界では少数派である。
このような先進国では経済的な発展や物質的な繁栄が当たり前のように感じ、人が幸せを感じる尺度は変化する。

このような社会を成熟社会と呼ぶ。

成熟社会では
人間関係を良好に保ちたい
心が通う仲間が欲しい
自分自身の存在を認めてもらいたい
自分のやりたいことをやってみたい
という人間にとって高次元な欲求が高まってくる。

4554812d04e7fde0b0e9fae2aa3a9987_s

現在の日本は超高齢化社会となっており、高齢者の医療福祉政策が急ピッチで進んでいる。
医療・看護・介護・リハビリテーションと様々な分野で対策が打ち立てられている。
特に、リハビリテーションは全人間的復権の概念であることから、あらゆる分野で必要とされるものである。

リハビリテーションが一般的な社会インフラになる前の日本では、リハビリテーションとは機能障害やADLの回復を目指すものであった。
当然、機能障害やADLの回復は全人間的復権に必要なものであるため、それらは依然として重要である。

それに加え、成熟社会では、承認欲求や自己実現などの支援も求められる。

時代が変われば、求められる全人間的復権の内容も変わる。

今の時代は理学療法士、作業療法士、言語聴覚士は機能障害やADLの回復を促せる知識や技術に加え、より高次元の患者、利用者の欲求や想いを支える技能が求められる時代になっている。

こういった背景とともに生まれてきた概念である地域包括ケアや地域リハビリテーションは、より質の高い理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の能力を求めている。